ハイパーインフレ
インフレーション
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インフレーション(英語: inflation)とは、一定期間にわたって物価の水準が上昇し続ける状態を指す[1][2][3][4]。日本語では略称がインフレ、物価上昇率や通貨膨張(つうかぼうちょう)とも訳される[5]。
対義語は、物価が持続的に低下することを意味するデフレーションである。
概要
経済学において物価が上昇すると、1単位の通貨で購入できる財やサービスの数が減る。その結果、インフレーションは1単位の通貨あたりの購買力の低下、つまり経済における交換手段や会計単位の実質的な価値の低下を反映する[6][7]。対義語はデフレーションであり、財やサービスの一般的な価格水準が持続的に低下することである。インフレーションの一般的な指標はインフレ率で、物価(通常は消費者物価指数)の長期的な変化率を年率換算したものである。
経済学者は、非常に高いインフレ率やハイパーインフレーションは有害であり、マネーサプライの過剰な増加が原因であると考えている[8]。一方、低・中程度のインフレ率を決定づける要因については、より多様な見解がある。低・中程度のインフレは、財・サービスに対する実質的な需要の変動や、物資が不足しているときなどの供給可能量の変化に起因すると考えられる[9]。しかし、長期的に持続するインフレは、マネーサプライが経済成長率を上回るスピードで増加することによって起こるというのが共通の見解である[10][11]。
インフレは、経済に様々な良い影響と悪い影響を与える。インフレの負の影響としては、お金を保有することによる機会費用の増加、将来のインフレに対する不確実性による投資や貯蓄の抑制、さらにインフレが急速に進んだ場合には、消費者が将来の価格上昇を懸念して買いだめを始め、商品が不足することなどが挙げられる。ポジティブな効果としては、名目硬直性による失業率の低下、中央銀行の金融政策の自由度の拡大、お金をため込むのではなく融資や投資を促すこと、デフレに伴う非効率性の回避などが挙げられる。
今日、大半のエコノミストは、低位で安定したインフレ率を支持している[12]。インフレ率が低い(ゼロやマイナスではなく)と、景気後退の際に労働市場の調整が迅速に行われるため、景気後退の深刻さが軽減され、流動性の罠によって金融政策が経済を安定させることができなくなるリスクが軽減されるのである。インフレ率を低く安定的に維持する任務は、通常、金融当局に与えられている。一般的に、これらの金融当局は中央銀行であり、金利の設定、公開市場操作、銀行の預金準備率の設定を通じて金融政策をコントロールする。
分類
実物的要因

戦争や産業構造破壊により、供給が需要を大幅に下回ることによって発生するインフレーション。第二次大戦終戦後の日本では、1945年の水準からみて1949年までに約70倍(約6900 %)というハイパーインフレーション[注釈 1] となった[13]。
また、ジンバブエでは、政策により白人農家が国外に追い出され農業構造が破壊されたところに旱魃が追い討ちをかけたことにより極度の物不足が発生、最終的に2億3000万%という超ハイパーインフレーションとなった[14]。
需要
需要側に原因があるインフレーションで、需要超過インフレーション(需要牽引型インフレーション、ディマンドプル・インフレーション、demand-pull inflation)とも呼ばれる。需要の増大(需要曲線の上方シフト)により、価格が高くても購買意欲が衰えないので物価は上昇する。この場合、供給曲線が垂直である(すなわち価格の変動によって供給量が変化しない)場合を除いて景気はよくなる。
1973年から1975年にかけての日本のインフレ要因は、オイルショックに注目が集まるが、変動相場制移行直前の短資流入による過剰流動性、「列島改造ブーム」による過剰な建設需要も大きな要因である[要出典]。
供給
供給曲線の上方シフトに原因があるインフレで、原価上昇インフレーション(コストプッシュ・インフレーション、cost-push inflation)とも呼ばれる。多くの場合、景気が悪化しスタグフレーションか、それに近い状態になる。通常為替レートが下落すると、輸入物価が上昇してインフレを引き起こすと同時に、企業が抱える外貨建ての債務の返済負担が膨らむ[15]。
原価上昇は総供給が上方にシフトするので、実質GDPは減少する[16]。一方で、需要超過は総需要が上にシフトするので、実質GDPは増加する[16]。つまり、実質GDPの動きで原価上昇か需要超過かは判別できる[16]。景気の過熱によって物価が上昇しているのかどうかを判断するには、消費者物価指数ではなくGDPデフレーターを見なければならない[17]。
- 原価インフレーション(コストインフレーション)
- 賃金・材料等の高騰によって発生する。原油価格の高騰によるインフレーションや消費増税によるスタグフレーションが典型的な例である。
- 構造インフレーション
- 産業によって成長に格差がある場合、生産性の低い産業の物価が高くなり発生する。例えば効率の良い製造業で生産性が上がり賃金が上昇したとする。これに影響を受けてサービス業で生産性向上以上に賃金が上昇するとサービス料を上げざるを得なくなるため、インフレーションを招く。
- 輸出インフレーション
- 輸出の増大により発生する。企業が製品を輸出に振り向けたことにより、国内市場向けの供給量が結果的に減って発生する。幕末期に生糸などの輸出が急増し、インフレーションが発生している。このパターンは乗数効果で総需要が増大しているため、需要インフレの側面もある。
- 輸入インフレーション
- 他国の輸入を通じて国外のインフレーションが国内に影響し発生する。例えば穀物を輸入していた国が、輸出元の国の内需が増加したり輸出元が他の需要国へ輸出を振り分けた場合などに穀物の輸入が減少し、穀物価格が上昇するといった具合である。実際に中国が穀物純輸入国に転じた際、トウモロコシ市場で価格急騰が起きたことがある。
- キャッチアップインフレーション
- 賃金や物価統制を行っている体制が、市場経済に移行する際に発生することが多い。米国および日本で1970年代にかけて発生した。欧州では冷戦の終結および欧州中央銀行(ECB)拡大による東欧諸国の自由主義諸国への経済統合により、低賃金諸国での賃金・サービス価格の上昇によるキャッチアップインフレが発生している[18]。
貨幣的要因
貨幣の供給量が増えることによって発生する。貨幣の供給増加は、他のあらゆる財・サービスに対する貨幣の相対価値を低下させるが、これはインフレーションそのものである。さらに、貨幣の供給増加は貨幣に対する債券の相対価値を高めることになり名目金利を低下させる。このため通常は投資が増大し、需要増大をもたらす。そのプロセスが最終的に、需要インフレに帰結することでもインフレーションに結びつく。公開市場操作などの中央銀行による通常の貨幣供給調節以外に、貨幣の供給が増える特段の理由がある場合には、「財政インフレ」「信用インフレ」「為替インフレ」などと呼んで区分けることもある。
- 財政インフレーション
- 政府の発行した公債を中央銀行が引き受けること(財政ファイナンス、マネタイゼーション)により、貨幣の供給が増加して発生するインフレーション[19]。金融政策を経由した効果に加えて、財政政策による有効需要創出効果によって需要インフレも発生する。
- 信用インフレーション
- 市中銀行が貸付や信用保証を増加させることによって信用貨幣の供給量が増大することから発生するインフレーション。
- 為替インフレーション
- 外国為替市場を経由して通貨が大量に供給されることで発生するインフレーション。戦前の金解禁における「為替インフレーション論争」を特に指す場合もある[20][21][22][23]。なお、当時は固定相場制であり、現在の変動相場制とは、外国為替市場の動きが貨幣供給量に与える影響が異なることに留意が必要である。
速度別
- クリーピングインフレーション
- ゆるやかに進むインフレーション。インフレ率は年数%で、好況期に見られる。経済が健全に成長していると見なされ、望ましい状態と言われることが多い。「マイルド・インフレ」とも呼ばれる。
- ギャロッピングインフレーション
- 早足に進むインフレーション。馬の早足を表す「ギャロップ」から。インフレ率は年率10%超-数十%程度を指すことが多い。スタグフレーションに伴って生じることがある。
- ハイパーインフレーション
経済への影響
失業との関係
賃金も物価の上昇に伴って上昇するが、物価に比べると調整に遅れをとるため、実質賃金が下がり、雇用を増やしやすくするので失業率は下がる(フィリップス曲線)[24][25]。実質GDPが増えるディマンド・プル型では雇用は増加し、実質GDPが減少するコスト・プッシュ型では雇用は減る[26]。
インフレは名目所得が一定の人にとって損であるが、その人を雇う側にとってはその分得となる[27]。経済学者のスティーヴン・ランズバーグは、ロバート・ルーカスの理論を挙げ「インフレは人々を騙して失業者に職を受け入れさせ、雇用者には労働者を雇わせる。政府はインフレが続けばそれに伴って高い雇用が続くことに気づき、インフレ率を自動的に操作しようと決める。労働者と雇用者は政府の意図に気づき、騙されなくなる。インフレと失業の相関関係が切れたのは、政府がそれを利用しようとしたからである」と指摘している[28]。ランズバーグは「『インフレ』が人々を働かせるのではなく、『予想しなかった』インフレが人々を働かせる。完全に予想されたインフレの下では、失業者は就業しない。完全に予想されたインフレは誰の行動にも影響を与えない」と指摘している[29]。
消費・所得への影響
インフレによって物価が上昇しても、それ以上に賃金が上がり実質所得が増えれば、生活は豊かとなる[30]。
インフレ率上昇自体は、個人消費を底上げする効果がある[31]。期待インフレ率が高まり実質金利が低下した場合には、消費が増大する[31]。ただし、インフレ率が過度に高まった場合には将来の予測が困難になり、不確実性を高めることから消費や投資は停滞する。
スティーヴン・ランズバーグは「インフレの真の経済コストは、人々がインフレを回避するためにコストの高い行動に走り、その行動が誰の得にもならないことである」と指摘している[32]。経済学者の伊東光晴は「人々の期待は多様であり、物価が上がれば、生活を切り詰める人もいるかもしれない。低金利で設備投資が増えるかというと、過去に経済企画庁の企業行動調査は否定的な調査結果を出している」と指摘している[33]。
貸借への影響
予想外のインフレは、値打ちの下がった通貨で借金を返済する借り手にとって得となるが、返済を受け取る貸し手にとっては損となる[27]。物価上昇率が預金金利を上回ると預貯金の価値を実質的に引き下げる。物価上昇率が貸出金利を上回った場合、インフレにより実質的な負債の価値が下がり、その結果実質的な返済負担が減る(住宅ローンなど)。
インフレ率の程度
人々の生活を安定させるためには、できるだけ低い水準のインフレ率を維持しなければならない[34]。安定的な経済成長・雇用を達成するという意味においての物価の安定とは、過去の各国の経験から、インフレ率が中期的に2-3%程度の推移のことを意味する[35]。高インフレは、人々の実質所得を低下させ、自国通貨建ての資産価値を低下させる[36]。ハイパーインフレは、一物一価の法則から為替レートを暴落させ、資本の対外逃避などを引き起こす[37]。
経済学者の高橋洋一は「3-5%のインフレ率はマイルド・インフレーションの範囲であり、一国経済にとって問題とならないというのがコンセンサスとなっている」と指摘している[38]。経済学者の竹中平蔵は「『物価は毎年1-2%くらい上がるのが自然でよい』というのが、世界の専門家のコンセンサスである。5%を上回る物価上昇はよくない」と指摘し[39]、また竹中は「理想は、物価上昇率をゼロから数%程度の範囲で安定させることである」とも指摘している[40]。
経済学者の若田部昌澄は「ハイパーインフレの例を俟つまでもなく、インフレ率が2ケタ以上に高くなるのは経済に悪影響をおよぼす。おそらく5%を超えると望ましくないだろう」と指摘している[41]。
経済学者のジョセフ・E・スティグリッツは「インフレに過大な関心を注ぐあまり、一部の国の中央銀行は、金融市場で起きている状況に無頓着になってしまった。資産バブルが無制約にふくらんでいくのを中央銀行が放置することにより経済が負担するコストに比べれば、緩やかなインフレによるコストなど微々たるものにすぎない」と述べている[42]。
対策
インフレの阻止や解消のため様々な対策が行われている。
例
- 中央銀行の政策金利の引き上げ
- 金利の引き上げによる通貨高[43]
- 中央銀行の公開市場操作による資金吸収オペレーション
- 中央銀行の預金準備率引き上げ操作
- 中央銀行の新通貨発行と預金封鎖にともなう新通貨への切り替え
- 政府が財政支出を削減
- 政府が増税をして消費を抑える
- インフレターゲット(物価水準目標)
例

世界最古
記録に残る世界最古のインフレーションはマケドニア王国のアレクサンドロス3世の死去直後、紀元前323年のことであると言われている[44]。マサチューセッツ工科大学教授ピーター・テミンの研究によると、当時のバビロニアには既に市場経済があり、農産物の供給不足などに対してアケメネス朝など征服地から接収してもたらされた過剰な財宝(主に銀)の在庫がある中で、大王の死によって人々の不安感が増大したことが引き金となって、インフレーションが発生した[44]。
古代ローマ
軍人皇帝時代の古代ローマでは兵士への給与を増やす必要に迫られ銀貨の改悪を繰り返した結果、インフレーションが起こり市民生活に影響が出てていた。ディオクレティアヌスは通貨改革を敢行したが効果が無かったため、301年に物品やサービスの最高価格を定めた勅令『最高価格令』を出した。これらは実施された形跡が無く効果は薄かったとされるが、日用品の価格や各職業の給与が詳細に定められており、現代では貴重な歴史資料となっている[45]。
価格革命
フランシスコ・ピサロによるインカ帝国征服後、ポトシ銀山などから大量の金銀がスペインに運ばれた。1521年から1660年までの間にスペインに運ばれた金銀の量は金200トン、銀1.8万トンと言われる。これらの金銀は主に貨幣となったため、欧州全域で貨幣価値が3分の1になった。つまり物価が3倍になるインフレが起こったわけで、これを「価格革命」と言った。貨幣供給により商工業の発展が起こり、地代の減少のために封建領主層が没落するなどの社会的変化をもたらした。
ロシア革命
ロシア革命後にウラジーミル・レーニン率いるボリシェヴィキ政権が誕生したが、共産主義化のための諸政策(穀物の強制徴発・産業の国有化等)で、ロシアはハイパーインフレに陥り、ルーブルの価値は第一次世界大戦前の500億分の1になった[46](ソビエト初期のハイパーインフレも参照)。経済学者ジョン・メイナード・ケインズによれば、レーニンはこのインフレについて「資本主義を破壊する最善の方法は、通貨を堕落させることだ。政府はインフレを継続することで、密かに、気づかれることなく、国民の富のうち、かなりの部分を没収できる。」と述べたという[47]。その後ルーブルは、1924年4月までに3回のデノミが行われ、ロシアのインフレは沈静化した[46]。
イラン
イランでは経済制裁の影響で2014年頃からインフレが進み、2024年には野菜価格が数十倍になっている[48]。インフレの影響で現金で買い物をすると札束が必要になるため、デビットカードによるキャッシュレス決済が浸透し、現金を付け付けない店もある[48]。
局地的
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国単位でのインフレの他に、地域単位、都市単位でインフレ現象が起きることがある。
1324年、メッカ巡礼に向かったマンサ・ムーサは、富を知らしめるために道中のカイロで黄金をばら撒いたことから金相場が暴落し、10年以上の間エジプト周辺でインフレーションが続いたといわれる[49][50]。12年後の記述では、エジプトでの金の価格は1ミスカール(4.25グラム)の金は25ディルハム以上であったが、マンサ・ムーサが訪れてからは下落し、1ミスカルの金は22ディルハムを下回ったとされる[50]。
現代的に問題になっているのは、国際連合平和維持活動(Peace-Keeping Operations:PKO)に伴うインフレーションである[要出典]。紛争地域の停戦後、平和維持のために派遣される各国の部隊は、経済が疲弊している所に急に現れる富裕層と同じである。そのため、駐屯地の周辺では、部隊が調達する生活物資・食料品を中心に価格上昇が起きてインフレとなり、紛争で困窮した周辺住民の生活を圧迫する。対策として部隊員の駐屯地外での購買活動抑制が行われており、PKO部隊は価格維持活動(Price Keeping Operation)も同時に行っていることになる。
日本では、明治以降の資本主義経済化の下で局地的なインフレが見られた。農業地域や未開拓地域(北海道)に工業・鉱業・巨大物流施設(港湾)が出来ると、急激な資本投下と人口の急増(都市化)とが発生し、生活物資の必要から局地的なインフレが起きた。そのため、物価安定を目的に日本銀行の支店や出張所が置かれた。日銀の支店・出張所の開設場所や開設時期は、その地域での経済活動に伴う局地的インフレ懸念と密接に関係している[要出典]。
期待インフレ率
期待インフレ率(予想インフレ率)やブレーク・イーブン・インフレ率(損益分岐インフレ率)に関しては期待インフレ率を参照。
脚注
注釈
出典
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- 内藤陽介『マリ近現代史』彩流社、2013年5月5日。ISBN 978-4-7791-1888-3
関連項目
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ハイパーインフレーション(英語: Hyperinflation。日本ではハイパーインフレとも呼ばれる)とは、経済学で非常な加速をみせるインフレーションのことを指す。すべての商品の価格が上昇し、現地通貨の実質的な価値が急速に失われていく。これにより、人々はその通貨の保有額を最小限に抑え、より安定した外国通貨(最近では米ドルが多い)に切り替えようとする[1]。
価格は通常、他の比較的安定した通貨に対して安定している。ハイパーインフレーションでは、名目価格物価上昇のプロセスが長引き過去の市場価格を調べない限り一般には気づかないような低インフレとは異なり、商品の名目コスト、マネーサプライが急速かつ継続的に増加する[2]。しかし一般的には、人々が切り下げられた通貨をできるだけ早く手放そうとするため、一般的な物価水準はマネーサプライよりもさらに急速に上昇する。そうすると、実質的なマネーストック(流通しているお金の量を物価水準で割ったもの)は大幅に減少する[3]。
古典派を中心に通貨発行によって賄われた政府の財政赤字によって引き起こされているという主張がある。一方、ハイパーインフレーションは、戦争やその余波、社会的政治的動揺、総供給量の崩壊や輸出価格の下落など、政府が税収を集めるのが困難になるような危機など、政府予算に何らかのストレスがかかった場合に起こることが多いとされる。実質税収の急激な減少に加え、政府支出を維持する必要性が高く、外国からの借金ができない、あるいはしたくないという状況になると、その国はハイパーインフレーションに陥ると主張している[4]。
定義

アメリカ合衆国の経済学者、フィリップ・D・ケーガンは、ハイパーインフレーションは「インフレーション率が毎月50%を超えること」と定義している。毎月のインフレ率50%が継続すると、一年後には物価が129.75倍に上昇することになる[注 1]。すなわち、インフレ率12875%である[注 2][5]。一方で、国際会計基準の定めでは「3年間で累積100%以上の物価上昇」をハイパーインフレの定義としている[6]。
ハイパーインフレの発生は、通貨を媒介とした交換経済の麻痺や不確実性の高まり[7] によって、生産活動や投資への意欲を喪失させることで、国民経済に重大な影響をもたらす。
ハイパーインフレは主に、経済の提供可能な水準を超えて政府がシニョリッジの獲得を図る時に発生する。この時、マネーサプライが中央銀行にとって外生的に決まってしまい、もはや中央銀行は物価を抑えこむことが出来なくなる。シニョリッジ獲得のために貨幣を刷って名目貨幣残高を増やした場合、インフレーションを伴うのでシニョリッジは実質で見ると目減りすることになる。貨幣を刷るほどに、インフレによるこの目減りが加速度的に増加するため、政府が獲得可能な実質のシニョリッジには上限が存在する。この上限に達した状況から、政府がさらなるシニョリッジを求めて貨幣を刷った場合、インフレが一層昂進して政府は目的としたシニョリッジを確保することができない。それで、ますます貨幣を刷ってシニョリッジを獲得しようとすると、その結果インフレがさらに昂進して…、という悪循環に陥ることになる。これがハイパーインフレーションである。この種類のハイパーインフレは、政府の政策が変更されるという予測が、人々に形成されるまで継続する可能性がある[8]。
実際に、ハイパーインフレーションが起こるのは、敗戦や革命といった時期であることが多く、フランス革命の時に起こった、アッシニア紙幣の増刷によるインフレーションを、歴史上最初のハイパーインフレとする説もある[9]。
金塊や銀塊の地金に通貨価値を固定する本位制では、基本的にハイパーインフレは発生しないが、開戦などにより本位制は停止されることが多く、この際に、管理通貨制度に移行し戦時財政が野放図になってしまったり、敗戦により多額の賠償が発生する(おそれがある)場合、通貨信用は喪失され急激で一時的なハイパーインフレが発生する。敗戦や革命以外においても、ある国の経済市場が信認を失うことでハイパーインフレが発生することがある。これは中南米などラテン諸国やロシア東欧諸国で発生した性質のもので、領域経済の成長を期待した域外諸国市場による投資が長年にわたり行われたものの、その成果が十分でなく投資に対する不信感・不安感が醸成された結果として、当該国通貨が暴落し購買力を急速に失うという現象である。
この場合の通貨暴落は、市場による均衡過程であり、比較的短期間による急激な調整ののちインフレ率は安定する傾向にある。しかし19世紀から20世紀初頭の欧州ラテン諸国では国民の大量の移民や離散をまねき、長期的な経済の低迷やインフレの継続を招いた。
要因
田中秀臣は「歴史的な経験から見てハイパーインフレの原因は、主に深刻な財政赤字をファイナンスするためのシニョリッジの利用、その帰結としての急激な貨幣成長率にある」とし[10]「『不況を解消するために行われた金融政策が原因でハイパーインフレが起きた』という歴史的経験は存在しない」と指摘する[11]。
北野浩一はシニョリッジと徴税制度の観点について言及し、課税申告は1年や3カ月など時期を区切ってなされるが、課税金額は特定の時点において計算されるため、たとえば1年でインフレ率が100%の場合、一年前の課税額は現在の価値で半分となるため、このような環境下では政府はさらにシニョリッジに依存することになり、結果さらに高いインフレーションを生むという自己増殖的プロセスを辿ると指摘する。またラテンアメリカの事例では、インフレに連動するように設定された賃金や年金など(インデクゼーション制度)の採用により高インフレ下でも国民の需要が減ることによるインフレの終息という過程が発生せず、物価の上昇が持続的となり、スパイラルを強めて加速することにつながったと指摘する[12]。
若田部昌澄はハイパーインフレが先進国で起きるのは稀であり、社会が混乱状態に陥るときに起きやすいと指摘する[13]。飯田泰之は「ハイパーインフレが起きる国は二通りだけである。通貨発行主体の継続性が疑われた場合、例えば外国に占領されるんじゃないかという場合と、すでに占領されてしまった場合。つまり、国が崩壊する、革命、戦争という状況下に起こりえるものである」と指摘している[14]。
例
18世紀のフランス革命直後のハイパーインフレ、19世紀の南北戦争直後のアメリカ合衆国のハイパーインフレなど、歴史的には巨額の戦費調達によって生じた例が記録されている[15]。20世紀初頭にも、第一次世界大戦直後では、敗戦後のドイツ帝国で1兆倍、帝政が終わったロシア帝国で600億倍のハイパーインフレが発生している[15]。
トーマス・サージェントは、1982年の論文『四大インフレーションの終焉(The Ends of Four Big Inflations)』において、第一次世界大戦後にハンガリー(1922年 - 1924年)、オーストリア(1922年 - 1923年)、ポーランド(1921年 - 1924年)、ドイツ(1922年 - 1923年)で生じたハイパーインフレーションを分析した[8]。これらのハイパーインフレが生じた共通の原因は、戦争・革命等による国内生産の低下による供給能力の不足、第一次世界大戦の賠償金支払いなどに伴う財政赤字の急膨張であり、不換紙幣である政府紙幣の発行による、財政赤字のファイナンスであった[16]。
これらのハイパーインフレは最終的には、独立した中央銀行の創設、均衡政府予算に向けての一連の措置、金本位制の復帰を通じて終息している[16]。中央銀行が財政赤字をファイナンスすることを拒否し、政府が財政赤字を民間への国債の売却或いは外国からの借入れでファイナンスすることを決めた直後に終息した[8][17]。サージェントは、ハイパーインフレが終息したのは、その国が政府が財政赤字を補填する財政・金融政策のあり方を変更させたからであるとしている[18]。ハイパーインフレは、財政再建計画を伴った貨幣成長率の管理によってほとんどが終息している[11]。
ほかに、歴史的に有名なハイパーインフレーションの例として、アルゼンチン、ジンバブエがある。
南アメリカやアフリカの国家では、政府の財政赤字を国外からの借り入れによってファイナンスする手法をとっていた[19]。その後、世界の債権国がデフォルトを予期し、その国家の貸し付けを停止する事態が起きた。結果、政府が通貨発行によるシニョリッジに依存し、財政赤字ファイナンスを行うことによって、ハイパーインフレーションが発生した[20]。
日本
ポーランド
ドイツ

1914年、ドイツ帝国は第一次世界大戦勃発後に金本位制から離脱、マネーサプライは戦時中4倍に膨れ上がった[21]。
第一次世界大戦後、ドイツ経済は戦時体制と長らく続いたドイツ封鎖によって疲弊していた。さらに連合国のヴェルサイユ条約によって、1320億金マルクの賠償金支払いが課された。これはドイツの支払い能力を大きく上回っており、また外貨で支払うことが要求されていたため、賠償金の支払いは滞った。

(1923年 ベルリン)
1923年1月11日、フランス・ベルギーはイギリスの反対を押し切り、ドイツ屈指の工業地帯であり地下資源が豊富なルール地方を占領した。占領に対しドイツ政府は受動的な抵抗運動を呼びかけ、ストライキに参加した労働者の賃金は政府が保証した。既に第一次世界大戦中よりドイツではインフレーションが進行していたが、抵抗運動に伴う財政破綻によって致命的な状況へと導かれ、ルール工業地帯の供給能力を失ったために、空前のハイパーインフレが発生した。
同年6月までに、マネーサプライは大戦前の2000倍に増加し、一般物価水準は25000倍を超えていた[21]。マルクは1年間で対ドルレートで7ケタ以上も下落するインフレーションとなり、パン1個が1兆マルクとなるほどの状況下で、100兆マルク紙幣も発行されるほどであった。このため、この時期のマルクは「パピエルマルク(紙屑のマルク)」と呼ばれる。紙幣が額面ではなく重さで取引(事実上秤量貨幣化)されたり、紙幣の印刷を急ぐために片面印刷にしたり、既に流通している紙幣の額面を証紙やゴム印などで修正するなど、通常の状態では考えられないような事態が発生した。
またこのハイパーインフレを「ユダヤの紙吹雪」[22] と呼ぶ反ユダヤ主義的な陰謀論も流行り、アドルフ・ヒトラーらがミュンヘン一揆を起こしたのもハイパーインフレの危機が収束するかしないかという時期であり(1923年11月8日)[23]、左派による地方政府掌握が発生するなど、混乱はドイツ中に広がっていた。
第一次世界大戦後のドイツのハイパーインフレでは、酒場の客は、値段が上がらないまだ早い時間のうちに、数杯のビールを一度に注文したとされる[24]。
1923年10月15日、ヒャルマル・シャハトドイツ帝国銀行総裁主導により、レンテンマルク導入が発表されたことでインフレーションはほぼ停止し、物価も安定した(レンテンマルクの奇跡)[25][26][27]。レンテンマルクは不動産や工業機械を担保とするレンテン債権と兌換できる、レンテン銀行が発行する銀行券であり、1金マルクと同じ価値を持つとされていたが、法定通貨ではなかった[25]。
やがて1レンテンマルクは1兆パピエルマルクと交換されることになり[28]、事実上のデノミネーションが行われた[25]。翌1924年にはアメリカが賠償金支払いプロセスに参加し、ドイツに融資を行うドーズ案が採択された。この資金を元にライヒスマルクが発行され、ドイツは戦時中以来離脱していた金本位制に復帰した[25]。ドイツは相対的安定期と呼ばれる経済回復期を迎え、ヴァイマル共和政が倒れることはなかった。
しかし1929年の世界恐慌によってドイツ経済は再び崩壊した。インフレーションの再来を怖れる民衆や財界は、大規模な財政出動に反対していた[29]。ハインリヒ・ブリューニング内閣は、この状況に対してデフレーション政策で臨んだが[30]、状況は改善されなかった。1933年には失業率は、44%に達した[31]。
旧来の政治勢力は民衆からの期待を失い、ヴェルサイユ体制打破を掲げるアドルフ・ヒトラーによるナチ党の権力掌握を招いた。ナチス・ドイツ体制期においては、政府支出の拡大、メフォ手形など非公式なものを含む政府債の拡大政策が行われたが、これらの累積は、貨幣市場への圧迫をもたらすものであった[32]。ドイツの経済当局は賃金や物価の上昇について厳しく押さえつけることで、インフレーションを抑制しようとした[33]。
オーストリア
第一次世界大戦の敗戦国であるオーストリアは、その戦後賠償金をファイナンスするために政府・中央銀行が貨幣を発行し、シニョリッジを利用した事が、ハイパーインフレの引き金を引いた[19]。これによって、オーストリアは月率50%、年率1000%をはるかに上回った[34]。オーストリアのハイパーインフレは1922年8月に停止した[17]。
ハンガリー
第一次世界大戦後にオーストリアから独立したハンガリーにも激しいインフレが襲った。独立直後に導入されたハンガリー・コロナの通貨価値は激しく下落し、1925年のペンゲー導入まで続いた。
第二次世界大戦後にはより激しいハイパーインフレが発生した。ペンゲーは後期の16年間で貨幣価値が1垓3000京分の1[35] になったが、20桁以上のインフレーションは1946年前半の半年間に起きたものである。大戦後、1945年末までは対ドルレートが指数関数的に増大しつつもインフレ率はほぼ一定であったが、1946年初頭からはインフレ率そのものが指数関数的に増大した。別の表現でいえば、物価が2倍になるのにかかる時間が、1か月、1週間、3日とだんだんと短くなっていったということである。当時を知るハンガリー人によると、一日で物価が2倍になる状況でも市場では紙幣が流通しており、現金を入手したものは皆、すぐに使ったという[36]。
1946年に印刷された10垓[35] ペンゲー紙幣(紙幣には10億兆と書かれている)は歴史上の最高額面紙幣であったが、発行はされていない。実際に発行された最高額面紙幣は1垓[35] ペンゲー紙幣(紙幣には1億兆と書かれている)である。このハンガリーのインフレは、最悪のインフレーションとしてギネスブックに記録されている。1946年8月、ハンガリーのハイパーインフレはフォリントの導入によって収束した。
1948年のハンガリーのハイパーインフレでは、労働者は1日に3回に分けて給料を貰い、給料が無価値にならないように小切手を現金化しようとする労働者の妻たちが、一日中職場と銀行の間を往復していたとされる[37]。
アルゼンチン
1988年、過剰な通貨供給が原因で年率5000倍のハイパーインフレが発生する[38]。1989年には対前年比50倍の物価上昇が見られ、1991年にドルペッグ制のアルゼンチン・ペソを導入(カバロプラン)するまで、経済が大混乱となり、庶民のタンス預金は紙屑同然となった。1993年にはインフレ率は年率7.4%に沈静化した[38](ラプラタの奇跡[39])。
その後、固定相場制を維持した結果、急激なペソ高によって貿易不振となり経済が停滞、アルゼンチン政府は2001年11月14日に債務不履行宣言をする[40]。2002年には固定相場制を廃止し、変動相場制への移行とインフレターゲットの導入を行った[41]。2002年にはインフレ率は40%に達したが翌年には年率3.8%に沈静化する[42]。
ブラジル
1986年から1994年までの8年間に、2兆7500億分の1のハイパーインフレーションが生じた。ブラジル政府は、1993年12月に「レアルプラン」を発表し、ドルペッグの通貨レアルの導入を1994年7月に行いインフレを終息させた[43]。
メキシコ
ロシア
第一次大戦からロシア革命期、帝政ロシア政府は1914年の開戦から1918年6月までに541億ルーブルの戦費を支出しており、これは1913年の経常歳出の17.6年分に相当するものであった。これらは政府短期証券、国債、外債の発行などで賄われていたが、1917年10月革命で成立したソビエト(ボリシェビキ)政権は帝政ロシア時代に内外で発行された国債の債務放棄を宣言し国立銀行券の増発で歳費の調達を始めたため、ソ連では1913年物価水準に対して1924年2月には171億倍にまで増加した。一方でボリシェヴィキ政府の債務放棄宣言にもかかわらず帝政ロシアが発行した外債の金利は急騰せず価格も暴落しなかった。これは国際投資家がロシア革命が短期で終わる可能性をみており、あるいは国際金融市場での資金調達の再開にともない帝政ロシアの債務に関しても何らかの義務を負わざるをえないという見方をとっていたからである[44]。
経済学者ジョン・メイナード・ケインズによれば、レーニンはこのインフレについて「資本主義を破壊する最善の方法は、通貨を堕落させることだ。政府はインフレを継続することで、密かに、気づかれることなく、国民の富のうち、かなりの部分を没収できる。」と述べたという[45]。その後ルーブルは、1924年4月までに3回のデノミが行われ、ロシアのインフレは沈静化した[46]。
ソ連崩壊後のロシアでは、政府による強制貯蓄制度の中止、中央政府の生産指令の停止、コメコン体制の崩壊による物資の不足、通貨ロシア・ルーブルの下落などによって経済が混乱し、ハイパーインフレが起きた[47]。1992年の物価上昇率は、前年比で26倍となった[47]。1992年にインフレ率は2150%を記録したが、1996年にはIMFの融資・指導の結果インフレは収束した[48]。物価上昇率は1993年には10倍、1994年には3.2倍と沈静化していった[47]。しかし、1998年のアジア通貨危機の影響を受け、外貨が大量に流出し財政が危機的状況となり、通貨切り下げと対外債務の支払いの延期を宣言、再び深刻なインフレに陥った[49]。
ユーゴスラビア

ユーゴスラビアではもともとインフレ率が高かったが、1989年に爆発的なインフレーションが発生した。これはいったん収まるが、その後のユーゴスラビアの解体とユーゴスラビア紛争の時期にふたたびインフレーションが発生し、1993年には116兆パーセントの超ハイパーインフレーションが発生した[50]。ユーゴスラビア・ディナールは何度も切り下げられ、5000億ディナール紙幣も発行された。
コンゴ民主共和国(ザイール)
トルコ
ジンバブエ

ジンバブエでは、独立後から旧支配層に対して弾圧的な政策を実施。ロバート・ムガベ大統領は、2000年に白人の所有する土地を強制収用する法律を成立させ、2007年に外資系企業に対し、株式の過半数を強制的に政府に譲渡するという法律を成立させた[51]。
国内の白人農家を国外へ追い出したその結果、自国の主産業であった農業が崩壊、さらに旱魃(かんばつ)が追い討ちをかけ、国内で極度の物不足が発生した[52]。治安の悪化も重なり、富裕層が国外へ流出する結果となった。こうした傾向はインフレーションに拍車をかけ、2000年代に入ると経済が機能不全に陥る猛烈なインフレーションに直面することとなった。
2000-2007年の7年間に通貨供給量は130万倍に達し、物価は650万倍に上昇した[53]。2008年7月のジンバブエのインフレ率は、2億311.5万%となった[54]。
2008年時点で年率220万%に達し[53]、同8月にジンバブエ準備銀行は、通貨を切り下げるデノミネーションを行った。その後のインフレーションの影響で9月30日に2万ジンバブエ・ドルの発行など、デノミネーション後に20種類の紙幣を発行し、同12月19日に100億ジンバブエ・ドル紙幣を発行した。最近8年間で23桁以上のインフレーションとなっていて、うち2008年だけで約14桁、9月から3か月で約10桁のインフレーションとなり、最終的には『100兆ジンバブエ・ドル紙幣』が発行された。
さらに2009年2月2日、1兆ジンバブエドルを1ジンバブエドルに、桁数にして12桁を切り下げるデノミネーション措置を講じた。結局同年2月にジンバブエ政府は、公務員給与を米ドルで支払うと発表し、紙屑同然のジンバブエ・ドルが公式には流通しなくなり、4月12日にはジンバブエドルの流通停止と、アメリカ合衆国ドルおよび南アフリカランドなどの外貨導入により、自国通貨の放棄を発表することを余儀なくされた。その後、外貨の使用に伴ってインフレーションは沈静化し[55]、デフレーションとなった。
ジンバブエのインフレーションの特徴としては、インターネット社会によって、世界中の人々が素早く物価上昇に関する情報が入手できた点が挙げられる。
北朝鮮
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ベネズエラ
世界屈指の原油埋蔵量を誇るベネズエラは、原油が輸出全体の9割を占めていたが、2015年に原油価格が急落するとベネズエラ経済が危機に陥った。2015年のインフレーション率は98.3%[56]、2016年のインフレ率は700%に達した。2008年から2016年までのボリバル・ソベラノ累積インフレ率は2,000%を超えている[57]。2018年7月23日国際通貨基金は、2018年末にボリバル・ソベラノのインフレ率が100万%に達する旨の見解を発表した[58]。先の見えない経済と治安の混乱で国民生活は疲弊し、2019年6月時点で400万人以上が、国境を越えて南アメリカ各国(コロンビア:約130万人、ペルー:76.8万人、チリ:28.8万人、エクアドル:26.3万人、アルゼンチン:13万人、ブラジル:16.8万人)へ流出したと推測されている[59][60][61]。
脚注
注釈
出典
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- ^ 『南米ベネズエラ緊急事態 故郷を追われる人が400万人に』(プレスリリース)UNHCR、2019年6月19日 。2019年8月23日閲覧。
- ^ “子どもはごみあさり、兵士の不満増大 政治の影に隠れたベネズエラ国民の窮状”. CNN (2019年1月29日). 2019年1月28日閲覧。
ハイパーインフレ
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