レアル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/04 13:33 UTC 版)
レアル | |
---|---|
Real brasileiro (ポルトガル語) | |
![]()
200レアルの紙幣
|
|
ISO 4217 コード |
BRL |
中央銀行 | ブラジル中央銀行 |
ウェブサイト | www |
使用 国・地域 |
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インフレ率 | 4.01% |
情報源 | Banco Central do Brasil, 2020年2月 |
補助単位 | |
1/100 | センターボ |
通貨記号 | R$ |
硬貨 | 1、5、10、25、50センターボ、1レアル |
紙幣 | 2、5、10、20、50、100 200レアイス |
紙幣製造 | 造幣局 |
ウェブサイト | www |
硬貨鋳造 | 造幣局 |
レアル (real) は、ブラジル連邦共和国の現在の通貨である。国際通貨コード(ISO 4217)はBRLである。
補助通貨単位として1/100レアルに等しいセンターボ (centavo) がある。
すべてブラジル中央銀行 (Banco Central do Brasil) によって発行されている。
名称・記号
ブラジルポルトガル語では real は、/he.ˈaw/(ヘアウ)と発音をする。
通貨名称としての「レアル」の複数形は伝統的にはレイス (réis) だが、現在のブラジルでは、「王」の意味の複数形と同様に「2ヘアイス (reais)」などと呼ぶのが一般的である(ただしブラジル国内では、複数ではないのに1ヘアイスと複数形を使う、また逆に複数なのに2ヘアウや3ヘアウなどと単数系を使う人も少数いる)。
略記は“R$”および“BRL”であるが、個人商店やスーパーマーケットの商品の値札では省略して単に「$」と記すこともある。この「$」記号はシフラン (Cifrão) と呼ばれ、縦線は2本と定められている[1]。
歴史
旧レアル
もともと「レアル」という名称はポルトガルの開拓者によって使用されていたが、1654年にオランダ人がブラジル北部で「レアル(real)」という通貨名で紙幣を発行し流通させたのを起源とする。その後、19世紀初頭より特にスペイン系の中南米諸国で広く使われるようにもなる。
まだポルトガル植民地だった1790年、ブラジルに独自通貨ブラジル・レアル(旧レアル)が導入され、1822年の独立後も使われ続けた。旧レアルの複数形はレイス (réis) であり、しばしばこの名でも言及される。また、1000レアル(1000レイス)にはミルレイス (mil-réis) という特別の呼び名があった。
記号は「Rs」で前置し、桁区切り記号として1000の位に「$」(縦棒が2本のシフラン)、100万の位に「:」(コロン)が使われた。つまり、たとえば1234万5678レアルは「Rs 12:345$678」と書く(この種の記法は現行のレアルでは行わない)。
デノミネーション
1942年にクルゼイロ (cruzeiro) に通貨を変更してからは、インフレーションへの対処のために、高い交換レートのデノミネーションを繰り返している(括弧内はデノミ率)。
- 1942年 レアル(レイス)からクルゼイロに (1/1000)
- 1967年 クルゼイロを新クルゼイロに (1/1000)
- 1970年 新クルゼイロをクルゼイロに (1/1)
- 1986年 クルゼイロをクルザード(Cz$)に (1/1000)
- 1989年 クルザードをクルザード・ノヴォ(新クルザード)に (1/1000)
- 1990年 クルザード・ノヴォをクルゼイロ(Cr$)に (1/1)
- 1993年 クルゼイロをクルゼイロ・レアル(CR$)に (1/1000)
- 1994年 クルゼイロ・レアルをレアル(R$)に (1/2750)
結局、1942年から1994年の52年間で、1000 × 1000 × 1000 × 1000 × 1000 × 2750 = 275京分の1のデノミネーションを行ったことになる。比較的最近の1986年から1994年の8年間だけでも、2.75兆分の1のデノミネーションになっている。
記号の符号位置
記号 | Unicode | JIS X 0213 | 文字参照 | 名称 |
---|---|---|---|---|
₢ | U+20A2 |
- |
₢ ₢ |
クルゼイロ記号 |
新レアル
新レアル(現行のブラジル・レアル)は、ハイパーインフレーションへの対策の一環として、イタマール・フランコ政権下(当時の財務大臣フェルナンド・エンリケ・カルドーゾ主導)による「レアル・プラン」により1994年7月1日に導入された。
当時のブラジルではクルゼイロ・レアル紙幣をリサイクルする技術がなかったため、回収後は全て処分された。
1990年から1994年9月までは、対米ドルと独立して変動していたが、1994年10月からは管理変動相場制となった。1994年のデノミネーションでは、2750クルゼイロ・レアルを1レアルに換算した。この半端なレートは当時の対米ドルレートにより決定され、これにより管理相場スタート時点のレートは1レアル=1米ドルとなった。しかし、1998年11月から始まったレアルの大幅下落とIMFからの415億ドルの支援受入れ、1999年1月には管理相場を維持できなくなり、完全な変動相場制に再移行した。
新通貨導入構想
アルゼンチンとの共通通貨導入は長年議論されており、2019年には新通貨『レアル・ペソ』を創設することで両国首脳が合意したものの、ブラジル中央銀行が慎重姿勢を保ち実現しなかった[2]。2023年にはまた別の共通通貨導入で両国首脳が協議を再開する見込みと報じられている[3]。
貨幣
紙幣は、1・2・5・10・20・50・100・200レアルの7種類が流通している(このうち2レアル、20レアル及び200レアルの各紙幣は導入当初には存在せず、後に追加発行された)。デザインは表はほぼ同じで、裏には主にアマゾンに生息する動物の肖像画が描きこまれている。また、偽造防止のため100レアル・200レアル紙幣は発行当時から市場流通量が極めて少なく、一般に目にする機会はほとんどない[4]。
硬貨は古い硬貨と新しい硬貨があり[いつ?]、どちらも1・5・10・25・50センターボと1レアルの6種類がある。ただし古い1レアル硬貨は、2003年12月23日に無効になった[5]。また1センターボ硬貨は現在では製造されていない。
また、2000年にはペドロ・アルヴァレス・カブラルによるブラジル発見500周年を記念に10レアルのポリマー幣が発行・流通された。表にはカブラルを描き、裏にはブラジルに居住する様々な人種が描き込まれている[6]。
デザインには何度かマイナーチェンジしており、2006年現在の最新版は1レアル紙幣のみ左上を国名にし、銀行名を左下に移した[7]。
為替レート
現在のBRLの為替レート | |
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Google Finance: | AUD CAD CHF CNY EUR GBP HKD JPY (/円) USD |
Yahoo! Finance: | AUD CAD CHF CNY EUR GBP HKD JPY (/円) USD |
Yahoo! ファイナンス: | AUD CAD CHF CNY EUR GBP HKD JPY (/円) USD |
XE: | AUD CAD CHF CNY EUR GBP HKD JPY (/円) USD |
OANDA: | AUD CAD CHF CNY EUR GBP HKD JPY (/円) USD |
出典
- ^ “Origem do Cifrão”. Casa de Moeda do Brasil. 2014年1月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月閲覧。
- ^ “ブラジルとアルゼンチン、共通通貨創設を協議へ”. 日本経済新聞. (2023年1月23日) 2023年1月23日閲覧。
- ^ “ブラジルとアルゼンチン、単一通貨導入に向け協議再開の意向”. bloomberg.co.jp. ブルームバーグ. (2023年1月23日) 2023年1月23日閲覧。
- ^ http://www.bcb.gov.br/?CEDCOMUM
- ^ http://www.bcb.gov.br/?MOEDAREAL
- ^ http://www.bcb.gov.br/?CEDCOM500M
- ^ http://www.bcb.gov.br/?CEDULA1R
関連項目
外部リンク
- ブラジルの紙幣 (ドイツ語) (英語) (フランス語)
レ・アル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/23 10:09 UTC 版)



レ・アル (フランス語: Les Halles) は、フランス・パリ市の一区域で、1区のファッショナブルなモントルグイユ通り(Rue Montorgueil)の南端にあり、そこに建てられてきた建物を指す。その前身は中央卸売市場であり、1971年に取り壊されて、その代わりに近代的なショッピングセンターのフォーラム・デ・アルが建てられた。地下のRER鉄道のシャトレ-レ・アル駅は、パリ市の通勤鉄道システムの中核ハブになっている。
歴史
レ・アルの前身は、伝統的なパリの中央市場である。1183年に、フィリップ2世が中央市場を拡張し、国中の商人が商品を販売できる場所を作った。1850年代には、ヴィクトール・バルタールの斬新な設計で、パリの「胃袋」として知られる大きなガラスと鉄の建物が建てられた。
新たな市場競争に適応できず、大規模な改修が必要となった中央市場は 1971年に取り壊され(この遺構の一部は日本の横浜・港の見える丘公園のフランス山にも寄贈された[1])、商店の屋台とともに華やかな雰囲気は消えてしまった。そして卸売市場はパリ郊外のランジスへ移転した。
この場所は1970年代に建設されたRER鉄道の合流地点となり、市内から南と東西に向かう2つの路線がここで合流するようになった。数年後には、この中央市場跡地は「ル・トゥルー・デ・アル」(le trou des Halles=市場の穴)と呼ばれる巨大なフォーラムとなり、古いサントゥスタシュ教会の近くで目障りな存在となった。
1977年にここで開業したシャトレ-レ・アル駅は、パリの新しい都市鉄道ハブになった。新しく完成したフォーラム・デ・アルは、1979 年にオープンした一部地下の高層商業ショッピングモールである。しかし、この建物のデザインは批判を集めて、パリ市は近年このエリアの再編について議論してきた。2014年には、レ・アル・モールの拡張で、新しくモダンな地上ビルが追加された。[2]
関連項目
脚注
- ^ 世界建築レポート[6パリ・レ・アール再開発計画──バルタールの亡霊を巡って(戸田穣)]
- ^ パリ散歩【レ・アル】パリの胃袋から、アートの街へ(まっぷるマガジン編集部、2020年)
外部リンク
レアル
「レアル」の例文・使い方・用例・文例
- レアルマドリードの選手です
- サッカーのスター,デビッド・ベッカム選手(31)がスペインのレアル・マドリードを去り,米国のメジャーリーグサッカーチーム,ロサンゼルス・ギャラクシーに入団することを決めた。
- 現在はレアル・マドリードのミッドフィルダーを務めている。
- しかし,レアル・マドリードとの4年契約は今季末に切れる。
- 2003年,彼はレアル・マドリードに入団し,さらに多くの注目を集めた。
- 今夏,ロナルド選手は1億ユーロ(約120億円)を超える報酬でスペインのレアル・マドリードに移籍するとうわさされた。
- アントラーズの石井正(まさ)忠(ただ)監督は試合後に「クラブW杯の決勝でレアル・マドリードに敗れて悔しい思いをしていたので,何としても天皇杯で優勝し,良い形でシーズンを終えたかった。レアル・マドリードと戦った経験は今日私たちが勝利するのに役立ったと思う。」と話した。
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