カール・マルクスとは?

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 学者・研究者 > 哲学者 > 思想家 > カール・マルクスの意味・解説 

カール・マルクス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/16 03:16 UTC 版)

カール・マルクスドイツ語: Karl Marx, 1818年5月5日 - 1883年3月14日)は、ドイツプロイセン王国出身の哲学者思想家経済学者革命家社会主義および労働運動にはじめて科学的な基礎を与えた。1845年にプロイセン国籍を離脱しており、以降は無国籍者であった。1849年(31歳)の渡英以降はイギリスを拠点として活動した。




注釈

  1. ^ さまざまな辞典で使用される「カール・ハインリヒ・マルクス」という名前は、誤りによるもの。彼の出生証明書には「カール・ハインリヒ・マルクス」と書かれていますが、他の場所では「カール・マルクス」が使用されている。「K.H.マルクス」は、彼の詩集と彼の論文の書き起こしでのみ使用されている。マルクスは1838年に亡くなった父親に敬意を表したかったので、3つの文書で自分を「カール・ハインリヒ」と呼んだ。
  2. ^ なお、2005年のイギリスBBCのラジオ番組の視聴者投票でもっとも偉大な哲学者に選ばれた[1]
  3. ^ プロイセン政府は1815年にもドイツ連邦規約16条に基づき、ユダヤ教徒の公職追放を開始した。この措置とユダヤ人迫害機運の盛り上がりの影響でこの時期にユダヤ教徒から改宗者が続出した。ハインリヒ・ハイネエドゥアルト・ガンスらもこの時期に改宗している[16]。マルクスの父ヒルシェルは当時トリーア市の法律顧問を務めていたため、やはり公職追放の危機に晒された。彼ははじめ改宗を拒否し、ナポレオン法典を盾に公職に止まろうとした。その主張は地方高等裁判所長官フォン・ゼーテからも支持を得ていたが、プロイセン中央政府の法務大臣ドイツ語版フリードリヒ・レオポルト・フォン・キルヒアイゼンドイツ語版から例外措置はありえないと通告された。結局ヒルシェルはゼーテからの勧めで最終手段として改宗したのだった[17]
  4. ^ ヨーゼフ・シュンペーターはマルクスの著作の傾向を看破したものとしてこの評価に注目しており、「マルクスがこの種の文体を使った時は、いつも何らかの隠さなければならない弱点があると見てよい」と評している[41]
  5. ^ ヘーゲルは、当時プロイセンで最も高名な哲学者だった。ヘーゲルは、「この世の全てのものは矛盾をもっているので、不可避で否定を持つが、絶対的なもの(彼はこれを精神と見た)の意思に従って、否定から否定へとジグザグに動いて矛盾を解消して、より理性的な状態へと近づけていく運動である」と考えた。この概念で把握することを弁証法という[70][71]。ヘーゲルのこの考えに従えば、理性的なものは必ず現実に現れてくるはずだし、現在の状態は、必ず理性的な部分があるということになる。ヘーゲルは「理性の最高段階は国家であり、あらゆる矛盾は国家によって解消される」と考えた。そして、プロイセン王国こそがそれを最も体現している国であるとした。プロイセン政府にとっては、フランス革命的な西欧自由主義への対抗として、都合のいい哲学であった。しかし、ヘーゲルは1831年に死去し、その思想の継承者たちは右派・中央派・左派に分裂した。自由主義・啓蒙主義思想から封建主義的なプロイセンの現状の批判する左派は、現実の中に理性を探すのではなく、理性によって現実を審査すべきとしてヘーゲル批判を行うようになった。若き日のマルクスも、このヘーゲル左派の立場に立った[72]
  6. ^ 前王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世は優柔不断な性格の王でヘーゲル派のカール・フォム・シュタイン・ツム・アルテンシュタインドイツ語版を文部大臣にしていたため、これまでヘーゲル左派への弾圧も比較的緩やかであった[94]
  7. ^ デモクリトスエピクロスはアトム(原子)を論じた古代ギリシャの哲学者。デモクリトスはあらゆるものはアトムが直線的に落下して反発しあう運動で構成されていると考えた初期唯物論者だった。これに対してエピクロスはデモクリトスのアトム論を継承しつつもアトムは自発的に直線からそれる運動(偏差)をすることがあると考えた[99]。近代まで長らくエピクロスはデモクリトスに余計なものを付け加えた改悪者とされてきたが、自由主義の風潮が高まると哲学的観点から再評価が始まった。デモクリトスのアトム論では人間の行動や心までもアトムの運動による必然ということになってしまうのに対し、エピクロスは偏差の考えを付け加えることで自由を唯物論の中に取り込もうとしたのではないかと考えられるようになったからである。ヘーゲル左派もエピクロスをストア派懐疑主義とともに自分たちの「自己意識」の立場の原型と看做した。マルクスもそうした立場を踏襲してエピクロスとデモクリトスを比較する論文を書いたのだった[100]
  8. ^ ルーゲはマルクスの論文を含む掲載を認められなかった論文を1843年にスイスで『アネクドータ(Anekdote)』という雑誌にして出版している[112]
  9. ^ この新聞は自由主義的だが、ライン地方がプロイセン領であること自体は受け入れており、親仏的・反プロイセン的カトリック新聞『ケルン新聞』への対抗としてプロテスタントのプロイセン政府としても必ずしも邪魔な存在ではなく、その発刊に際しては好意的でさえあったという[114][118]
  10. ^ ただしこの論説のなかでマルクスは「プルードンの洞察力ある著作については研究の必要がある」ともしている[132][129][133]
  11. ^ 農民が森林所有者の許可なく木材を採取することを盗伐として取り締まる法案。マルクスはこの法案を貧民の慣習上の権利を侵すものとして反対した。ただしこの法案は森林所有者の財産権保護だけを目的とする物ではなく、当時凄まじい勢いで進んでいた森林伐採を抑えようという自然環境保護の目的もあった。そちらの観点についてはマルクスは何も語っていない[134]
  12. ^ 仮借ない批判で知られるマルクスだが、不思議なことにハイネだけは最後まで批判しなかった。マルクスとハイネの意見が相違しなかったからではない。ハイネはプロレタリアートが勝利した世界に芸術や美術の居場所はないと感じ取り、共産主義を好んでいなかった。また1856年に死去した際には神に許しを請う遺言書を書いている。このような「反共」や「信仰への墜落」にも関わらず、マルクスはハイネに対して何らの非難も発しなかったのである。マルクスの娘のエレナによれば「父はあの詩人をその作品と同じぐらい愛していました。だから彼の政治的弱さはどこまでも大目に見ていたのです。それを父はこう説明していました。『詩人というのは妙な人種で彼らには好きな道を歩ませてやらねばならない。彼らを常人の尺度で、いや常人ではない尺度でも図ってはならないのだ』」[174]
  13. ^ ブリュッセル時代にもモーゼス・ヘスとマルクス・エンゲルスはしばしば共同で研究をしていたが、ヘスは哲学的観点が抜けきれず、階級闘争など過激な路線を嫌い、階級間を和合させようとしたため、マルクスたちから「真正社会主義者」という批判を受けた[231]
  14. ^ たとえば貴族や聖職者がブルジョワへの復讐で提唱する「封建主義的社会主義・キリスト教的社会主義」、ブルジョワの一部が自分の支配権を延命させるべく主張する「ブルジョワ社会主義」、大工業化で零落した小ブルジョワによるギルド的な「小ブルジョワ社会主義」、哲学者が思弁的哲学の中だけで作っている「真正社会主義」、プロレタリアート革命なしで階級対立と搾取の無い世界を実現できるかのように語る「空想的社会主義」などである[256][257]
  15. ^ ルイ・フィリップ王は1830年の7月革命復古王政が打倒された後、ブルジョワに支えられて王位に就き、多くの自由主義改革を行った人物である。しかしその治世中、労働者階級が台頭するようになり、労働運動が激化した。1839年に社会主義者ルイ・オーギュスト・ブランキの一揆が発生したことがきっかけで保守化を強め、ギゾーを中心とした専制政治を行うようになった[262]。1847年の恐慌で失業者数が増大、社会的混乱が増して革命前夜の空気が漂い始めた。そして1848年2月22日、パリで選挙法改正運動が政府に弾圧されたのがきっかけで暴動が発生[261]。23日にはギゾーが首相を辞し、24日にはルイ・フィリップ王は国外へ逃れる事態となったのである[263][264]
  16. ^ たとえば『共産党宣言』では「あらゆる相続権の廃止」「全ての土地の国有化」となっていたのを、『ドイツにおける共産党の要求』では「相続権の縮小」「封建主義的領地の国有化」としている。また国立銀行の創設の要求について「国立銀行が貨幣を硬貨と交換するようになれば、万国の両替手数料は安くなり、外国貿易に金銀が使用可能となる」とブルジョワ目線で説明を付けている[282]
  17. ^ マルクスの独裁ぶりを象徴するのがケルン労働者協会会長で共産主義者同盟にも所属していたアンドレアス・ゴットシャルクドイツ語版をつまらないことで激しく糾弾したことだった。ゴットシャルクはこれにうんざりして共産主義者同盟から離脱してしまった。マルクスのゴットシャルク批判は方針の相違では説明を付け難い。フランシス・ウィーンは、「嫉妬がからんでいたということだけは言えるだろう」としている。ウィーンによれば、マルクスは自分の統括下にない組織や機関に批判的だったし、貧しい人たちへの医療活動で知られる医者のゴットシャルクは編集発行人のマルクスより多くの信奉者を得ていた[293]
  18. ^ エンゲルスはロンドンに来た後、ロンドンの新聞社に務めることを夢見ていたが、その夢は叶わず、他の自活の手段も見つけられなかったので父親と和解し、1850年12月からマンチェスターにある父の共同所有する会社で勤務するようになった[345]。とはいえこの頃エンゲルスの給料も年100ポンドを超えることはなかったと見られており、また父の代わりにマンチェスターの大世帯をやり繰りしなければならなかったのでマルクスにやれる金にも限度があった[346]
  19. ^ これについてマルクスの伝記を書いたE・H・カーは「マルクスはラッサールに腹を立てていた。彼を軽蔑したり、時には憎悪したこともあった。彼に対して陰謀を企みもした。しかしラッサールには常に生々しい情熱、力強い人格、自己犠牲の献身、紛う方なき天才の閃きがあり、これがために否応なくマルクスから尊敬を、ほとんど愛情さえ勝ち得たのである。マルクスはエンゲルスの冷静な批判の影響を受けたが、それに完全に納得したことは一度もなかった。恐らくマルクスがゲットーのユダヤ人を軽蔑していたにも関わらず、目に見えぬ、自分には気づかれぬ人種的親近性があったのであろう。二人の意見と性格がどれほど違っても、マルクスがラッサールに無関心であったことは一度もなかった。ラッサールの死はマルクスの生涯においてもヨーロッパ社会主義の歴史においても、一時期を画した」と評している[425]
  20. ^ たとえば『フレイザーズ・マガジン英語版』は「インターナショナルの影響について我々はあまり目にすることも耳にすることもないが、その隠された手は神秘的かつ恐ろしい力で革命装置を操っている」と書いた[490]。『ペルメル・ガゼット英語版』紙は「マルクスは生まれながらのユダヤ人であり、政治的共産主義を生み出すことを目的とする途方もない陰謀の長である」と書いた[491]。フランスのある新聞は「マルクスは陰謀家の最高権威であり、ロンドンの隠れ家からコミューンを指揮した。インターナショナルは700万人の会員を擁し、全員がマルクスの決起命令を待っている」などと報じている[492]
  21. ^ 『資本論』第4部こと『剰余価値学説史』は、エンゲルスの死後カール・カウツキーの編集で出版されたが、これが本文の改竄を含んでいるという理由で、ソ連マルクス=レーニン主義研究所により編集し直された。これは構成および各節の小見出しが上の研究所の手になるものである。その後、未編集の草稿の状態を再現した「1861-63年の経済学草稿」が日本語訳でも出版されている。『資本論』に関するもの以外にもマルクス、エンゲルスの死後に発見された著作やノートには同様の問題をはらんでいるものがあり、特に1932年のいわゆる旧MEGAに収録された『ドイツ・イデオロギー』は原稿の並べ替えが行われ、廣松渉から「偽書」と批判された(詳細は『新編輯版 ドイツ・イデオロギー』(岩波文庫)の「解説」および『廣松渉著作集』、岩波書店、第八巻参照)。『経済学・哲学草稿』は旧MEGA版、ディーツ版、ティアー版などの各版で順序や収録された原稿が異なる[544]
  22. ^ マルクス自身も色黒のユダヤ系であったが、マルクスはラッサールが色黒のユダヤ系なのを捉えて彼が黒人系ユダヤ人であると揶揄していた。エンゲルスへの手紙の中で「彼(ラッサール)の頭の髪の伸び方(縮れ毛)がよく示している通り、彼はモーセがユダヤ人を連れてエジプトから脱出した際に同行したニグロの子孫である。彼の母親か父親がニガーと交わったのでない限り。片やドイツとユダヤの混ぜ合わせ、かたやニグロの血、この二つがこの奇妙な生き物をこの世に誕生させたのだ。この男のしつこさは紛れもなくニガーのそれである」と書いている[568][588][589]
  23. ^ バーリンはその例として、唯物論スピノザドルバックフォイエルバッハに負うところが大きいこと、「人類の歴史は全て階級闘争」とする歴史観はシモン=ニコラ=アンリ・ランゲフランス語版サン=シモンが主張していたこと、「恐慌の周期的発生の不可避」という科学的理論はシスモンディの発見であること、「第四階級の勃興」は初期フランス共産主義者によって主張されたこと、「プロレタリアの疎外」はマックス・シュティルナーがマルクスより1年早く主張していること、プロレタリア独裁はバブーフが設計したものであること、労働価値説ジョン・ロックアダム・スミスリカードら古典経済学者に依拠していること、搾取剰余価値説シャルル・フーリエがすでに主張していたこと、それへの対策の国家統制策もジョン・フランシス・ブレイ英語版ウィリアム・トンプソン英語版トーマス・ホジスキンらがすでに論じていたことなどをあげる[610]

出典

  1. ^ 「最も偉大な哲学者」マルクスが1位 英BBCラジオの視聴者投票
  2. ^ Suzanne Michele Bourgoin and Paula Kay,ed.,"Encyclopedia of world biography"10,pp.304-308.
  3. ^ a b c d ウィーン(2002) p.21
  4. ^ カー(1956) p.14
  5. ^ a b 廣松(2008) p.16
  6. ^ a b 小牧(1966) p.39
  7. ^ a b c d e 廣松(2008) p.17
  8. ^ a b 石浜(1931) p.43
  9. ^ 廣松(2008) p.18/22
  10. ^ 城塚(1970) p.26-27
  11. ^ ウィーン(2002) p.17
  12. ^ a b ウィーン(2002) p.18
  13. ^ 石浜(1931) p.44
  14. ^ 城塚(1970) p.25
  15. ^ Nikolaus Sandmann: Heinrich Marx, Jude, Freimaurer und Vater von Karl Marx. In: Humanität, Zeitschrift für Gesellschaft, Kultur und Geistesleben, Hamburg; Heft 5/1992, p.13–15.
  16. ^ 廣松(2008) p.19
  17. ^ 廣松(2008) p.19-20
  18. ^ 廣松(2008) p.17-19
  19. ^ シュワルツシルト(1950) p.3/8
  20. ^ a b c d カー(1956) p.15
  21. ^ メーリング(1974) 1巻 p.36
  22. ^ シュワルツシルト(1950) p.4/9
  23. ^ Heinz Monz: Der Erbteilungsvertraag Henriette Marx
  24. ^ Manfred Schöncke: Karl und Heinrich Marx und ihre Geschwister, S. 307–309
  25. ^ Jan Gielkens, S. 220–221
  26. ^ シュワルツシルト(1950) p.9-10
  27. ^ 石浜(1931) p.46
  28. ^ メーリング(1974) 1巻 p.40
  29. ^ 廣松(2008) p.21
  30. ^ ウィーン(2002) p.21-22
  31. ^ a b 廣松(2008) p.25
  32. ^ 小牧(1966) p.43
  33. ^ a b c ウィーン(2002) p.22
  34. ^ ウィーン(2002) p.19
  35. ^ 廣松(2008) p.26
  36. ^ a b 廣松(2008) p.27
  37. ^ シュワルツシルト(1950) p.18
  38. ^ シュワルツシルト(1950) p.17
  39. ^ 廣松(2008) p.29
  40. ^ カー(1956) p.16-17
  41. ^ a b シュワルツシルト(1950) p.18-19
  42. ^ カー(1956) p.16
  43. ^ カー(1956) p.17
  44. ^ a b c 城塚(1970) p.30
  45. ^ 石浜(1931) p.52-53
  46. ^ 廣松(2008) p.64-65
  47. ^ ウィーン(2002) p.24
  48. ^ 廣松(2008) p.65-66
  49. ^ シュワルツシルト(1950) p.21
  50. ^ 廣松(2008) p.65-66
  51. ^ a b メーリング(1974) 1巻 p.43
  52. ^ a b ウィーン(2002) p.27
  53. ^ 廣松(2008) p.66
  54. ^ 石浜(1931) p.56
  55. ^ 廣松(2008) p.156
  56. ^ カー(1956) p.22-23
  57. ^ ウィーン(2002) p.26/28
  58. ^ ウィーン(2002) p.28
  59. ^ カー(1956) p.23
  60. ^ メーリング(1974) 1巻 p.45
  61. ^ 石浜(1931) p.57
  62. ^ a b c 城塚(1970) p.31
  63. ^ メーリング(1974) 1巻 p.51
  64. ^ 石浜(1931) p.55
  65. ^ a b メーリング(1974) 1巻 p.50
  66. ^ 石浜(1931) p.57-58
  67. ^ 廣松(2008) p.66-67
  68. ^ 廣松(2008) p.67-68
  69. ^ 石浜(1931) p.62-64
  70. ^ 小牧(1966) p.72
  71. ^ シュワルツシルト(1950) p.41-42
  72. ^ 小牧(1966) p.74-76
  73. ^ 石浜(1931) p.66
  74. ^ 廣松(2008) p.80
  75. ^ 廣松(2008) p.67
  76. ^ シュワルツシルト(1950) p.29
  77. ^ ウィーン(2002) p.39
  78. ^ a b c カー(1956) p.27
  79. ^ 城塚(1970) p.32
  80. ^ メーリング(1974) 1巻 p.54
  81. ^ 石浜(1931) p.68-69
  82. ^ メーリング(1974) 1巻 p.64
  83. ^ シュワルツシルト(1950) p.37
  84. ^ a b 廣松(2008) p.96
  85. ^ シュワルツシルト(1950) p.43
  86. ^ 廣松(2008) p.68
  87. ^ メーリング(1974) 1巻 p.56
  88. ^ シュワルツシルト(1950) p.33
  89. ^ ウィーン(2002) p.39-40
  90. ^ ウィーン(2002) p.43
  91. ^ a b 廣松(2008) p.93-94
  92. ^ 城塚(1970) p.42
  93. ^ a b ウィーン(2002) p.44
  94. ^ a b 廣松(2008) p.123-125
  95. ^ ウィーン(2002) p.43/45-46
  96. ^ 石浜(1931) p.72
  97. ^ 城塚(1970) p.59/61-62
  98. ^ 廣松(2008) p.105-106
  99. ^ 小牧(1966) p.67-68
  100. ^ 城塚(1970) p.54-59
  101. ^ カー(1956) p.28
  102. ^ a b c d e 廣松(2008) p.126
  103. ^ 廣松(2008) p.125-126
  104. ^ a b c d カー(1956) p.31
  105. ^ a b c ウィーン(2002) p.46
  106. ^ 城塚(1970) p.67
  107. ^ a b 廣松(2008) p.128
  108. ^ シュワルツシルト(1950) p.48
  109. ^ 石浜(1931) p.76-77
  110. ^ 城塚(1970) p.68
  111. ^ a b ウィーン(2002) p.49
  112. ^ 石浜(1931) p.77
  113. ^ 石浜(1931) p.79
  114. ^ a b 廣松(2008) p.130
  115. ^ カー(1956) p.32-33
  116. ^ 太田(1930) p.7
  117. ^ シュワルツシルト(1950) p.50
  118. ^ シュワルツシルト(1950) p.49-50
  119. ^ シュワルツシルト(1950) p.53-54
  120. ^ 石浜(1931) p.80-81
  121. ^ カー(1956) p.33
  122. ^ シュワルツシルト(1950) p.61
  123. ^ a b シュワルツシルト(1950) p.62
  124. ^ 廣松(2008) p.147
  125. ^ 城塚(1970) p.85
  126. ^ a b c 廣松(2008) p.152
  127. ^ シュワルツシルト(1950) p.66
  128. ^ 石浜(1931) p.82-83
  129. ^ a b ウィーン(2002) p.58
  130. ^ 城塚(1970) p.80
  131. ^ 廣松(2008) p.142-143
  132. ^ 石浜(1931) p.82
  133. ^ 廣松(2008) p.143
  134. ^ 廣松(2008) p.140
  135. ^ シュワルツシルト(1950) p.72
  136. ^ ウィーン(2002) p.62-63
  137. ^ 石浜(1931) p.85
  138. ^ カー(1956) p.35
  139. ^ a b 太田(1930) p.9
  140. ^ ウィーン(2002) p.64
  141. ^ 石浜(1931) p.87
  142. ^ 廣松(2008) p.152-153
  143. ^ 石浜(1931) p.89-90
  144. ^ カー(1956) p.37
  145. ^ 石浜(1931) p.90
  146. ^ 廣松(2008) p.155
  147. ^ ウィーン(2002) p.69
  148. ^ ウィーン(2002) p.68-69
  149. ^ a b c d シュワルツシルト(1950) p.78
  150. ^ 城塚(1970) p.87
  151. ^ 小牧(1966) p.81-82
  152. ^ 城塚(1970) p.88
  153. ^ 廣松(2008) p.190
  154. ^ カー(1956) p.100
  155. ^ バーリン(1974) p.84
  156. ^ 小牧(1966) p.104-107
  157. ^ 城塚(1970) p.90
  158. ^ 小牧(1966) p.107
  159. ^ a b 石浜(1931) p.89
  160. ^ 城塚(1970) p.91-92
  161. ^ 廣松(2008) p.163
  162. ^ 城塚(1970) p.94-96
  163. ^ 廣松(2008) p.171
  164. ^ 城塚(1970) p.97
  165. ^ 廣松(2008) p.167-170
  166. ^ 石浜(1931) p.90-92
  167. ^ カー(1956) p.38
  168. ^ 廣松(2008) p.195
  169. ^ 石浜(1931) p.92
  170. ^ シュワルツシルト(1950) p.79
  171. ^ 石浜(1931) p.94-95
  172. ^ a b 小牧(1966) p.111
  173. ^ a b c シュワルツシルト(1950) p.80
  174. ^ ウィーン(2002) p.84
  175. ^ カー(1956) p.55-56
  176. ^ 城塚(1970) p.127-128
  177. ^ a b 石浜(1931) p.95
  178. ^ 小牧(1966) p.111-112
  179. ^ バーリン(1974) p.106-107
  180. ^ 小牧(1966) p.113
  181. ^ 小牧(1966) p.115
  182. ^ 小牧(1966) p.116-117
  183. ^ 城塚(1970) p.114-116
  184. ^ 廣松(2008) p.219-221
  185. ^ 石浜(1931) p.96
  186. ^ 廣松(2008) p.222
  187. ^ ウィーン(2002) p.85-86
  188. ^ シュワルツシルト(1950) p.87
  189. ^ ウィーン(2002) p.85
  190. ^ 石浜(1931) p.105
  191. ^ a b c シュワルツシルト(1950) p.88
  192. ^ 廣松(2008) p.206
  193. ^ 小牧(1966) p.121
  194. ^ 石浜(1931) p.104-105
  195. ^ a b シュワルツシルト(1950) p.89
  196. ^ カー(1956) p.47
  197. ^ a b 小牧(1966) p.122
  198. ^ 城塚(1970) p.127-129
  199. ^ 城塚(1970) p.128
  200. ^ 小牧(1966) p.123-124
  201. ^ 城塚(1970) p.129-130
  202. ^ 城塚(1970) p.131
  203. ^ 城塚(1970) p.136-138
  204. ^ 小牧(1966) p.124
  205. ^ 小牧(1966) p.124-125
  206. ^ 城塚(1970) p.139
  207. ^ 城塚(1970) p.144
  208. ^ 小牧(1966) p.122-123
  209. ^ 石浜(1931) p.117
  210. ^ 小牧(1966) p.129-132
  211. ^ 石浜(1931) p.106-108
  212. ^ ウィーン(2002) p.87
  213. ^ シュワルツシルト(1950) p.106
  214. ^ a b カー(1956) p.58-59
  215. ^ 石浜(1931) p.108-109
  216. ^ a b ウィーン(2002) p.112
  217. ^ 小牧(1966) p.121-122/135
  218. ^ シュワルツシルト(1950) p.118
  219. ^ 石浜(1931) p.93/109
  220. ^ 小牧(1966) p.135-136
  221. ^ 石浜(1931) p.109
  222. ^ シュワルツシルト(1950) p.120
  223. ^ ウィーン(2007)
  224. ^ 石浜(1931) p.124
  225. ^ 石浜(1931) p.130
  226. ^ 小牧(1966) p.136
  227. ^ 石浜(1931) p.122-123
  228. ^ 小牧(1966) p.137
  229. ^ ウィーン(2002) p.115-116
  230. ^ 石浜(1931) p.125
  231. ^ 石浜(1931) p.137
  232. ^ 石浜(1931) p.129-130
  233. ^ 小牧(1966) p.138
  234. ^ 小牧(1966) p.138-139
  235. ^ 石浜(1931) p.144
  236. ^ 小牧(1966) p.141-142
  237. ^ 小牧(1966) p.142
  238. ^ 小牧(1966) p.142-143
  239. ^ 小牧(1966) p.144
  240. ^ 小牧(1966) p.145-146
  241. ^ 小牧(1966) p.146-147
  242. ^ 小牧(1966) p.153
  243. ^ 石浜(1931) p.146
  244. ^ 小牧(1966) p.154
  245. ^ ウィーン(2002) p.127
  246. ^ ウィーン(2002) p.127-131
  247. ^ シュワルツシルト(1950) p.147-158
  248. ^ ウィーン(2002) p.132
  249. ^ 石浜(1931) p.146-150
  250. ^ 小牧(1966) p.155
  251. ^ a b ウィーン(2002) p.138
  252. ^ 石浜(1931) p.153-154
  253. ^ 小牧(1966) p.156
  254. ^ ウィーン(2002) p.145
  255. ^ 小牧(1966) p.157-162
  256. ^ a b 石浜(1931) p.155
  257. ^ 小牧(1966) p.163-165
  258. ^ 小牧(1966) p.166
  259. ^ カー(1956) p.79
  260. ^ 石浜(1931) p.158-160
  261. ^ a b 小牧(1966) p.168
  262. ^ 石浜(1931) p.157-158
  263. ^ 石浜(1931) p.160
  264. ^ ウィーン(2002) p.151
  265. ^ 石浜(1931) p.162
  266. ^ 石浜(1931) p.163
  267. ^ エンゲルベルク(1996) p.257-258
  268. ^ 石浜(1931) p.162-163
  269. ^ 小牧(1966) p.169
  270. ^ 石浜(1931) p.166
  271. ^ a b カー(1956) p.83
  272. ^ a b メーリング(1974) 1巻 p.266
  273. ^ a b ウィーン(2002) p.153
  274. ^ ウィーン(2002) p.152
  275. ^ 小牧(1966) p.170
  276. ^ a b c ウィーン(2002) p.154
  277. ^
  278. ^ 小牧(1966) p.170-171
  279. ^ メーリング(1974) 1巻 p.267
  280. ^ ウィーン(2002) p.155
  281. ^ ウィーン(2002) p.156-157
  282. ^ ウィーン(2002) p.156-157
  283. ^ a b c ウィーン(2002) p.156
  284. ^ a b 石浜(1931) p.169
  285. ^ カー(1956) p.84
  286. ^ a b c d カー(1956) p.86
  287. ^ a b 石浜(1931) p.171
  288. ^ ウィーン(2002) p.157
  289. ^ a b ウィーン(2002) p.158
  290. ^ a b c 石浜(1931) p.173
  291. ^ メーリング(1974) 1巻 p.268
  292. ^ a b c ウィーン(2002) p.159
  293. ^ ウィーン(2002) p.161-162
  294. ^ 小牧(1966) p.172
  295. ^ a b カー(1956) p.87
  296. ^ a b 石浜(1931) p.174
  297. ^ 小牧(1966) p.172-173
  298. ^ バーリン(1974) p.185
  299. ^ a b メーリング(1974) 1巻 p.275-276
  300. ^ a b エンゲルベルク(1996) p.279
  301. ^ エンゲルベルク(1996) p.278
  302. ^ エンゲルベルク(1996) p.280
  303. ^ メーリング(1974) 1巻 p.271-272
  304. ^ メーリング(1974) 1巻 p.272-273/290
  305. ^ ウィーン(2002) p.164
  306. ^ ウィーン(2002) p.164-166
  307. ^ エンゲルベルク(1996) p.299-300
  308. ^ エンゲルベルク(1996) p.301
  309. ^ エンゲルベルク(1996) p.303
  310. ^ 石浜(1931) p.179
  311. ^ a b ウィーン(2002) p.173
  312. ^ メーリング(1974) 1巻 p.305
  313. ^ 石浜(1931) p.179-180
  314. ^ a b メーリング(1974) 1巻 p.306
  315. ^ ウィーン(2002) p.174-175
  316. ^ 石浜(1931) p.182
  317. ^ エンゲルベルク(1996) p.320
  318. ^ a b c ウィーン(2002) p.175
  319. ^ 小牧(1966) p.174-175
  320. ^ a b メーリング(1974) 1巻 p.317
  321. ^ a b メーリング(1974) 1巻 p.318
  322. ^ 小牧(1966) p.176
  323. ^ ウィーン(2002) p.176
  324. ^ ウィーン(2002) p.176-177
  325. ^ a b メーリング(1974) 1巻 p.319
  326. ^ 鹿島(2004) p.63-68
  327. ^ a b 鹿島(2004) p.79
  328. ^ ウィーン(2002) p.176-177
  329. ^ a b ウィーン(2002) p.177
  330. ^ バーリン(1974) p.190
  331. ^ ウィーン(2002) p.177-179
  332. ^ バーリン(1974) p.191
  333. ^ カー(1956) p.121-122
  334. ^ a b カー(1956) p.123
  335. ^ 石浜(1931) p.206
  336. ^ ウィーン(2002) p.199
  337. ^ バーリン(1974) p.205
  338. ^ シュワルツシルト(1950) p.265
  339. ^ カー(1956) p.127
  340. ^ 小牧(1966) p.180
  341. ^ ウィーン(2002) p.212
  342. ^ シュワルツシルト(1950) p.267
  343. ^ バーリン(1974) p.206
  344. ^ a b c d ウィーン(2002) p.215
  345. ^ a b c バーリン(1974) p.204
  346. ^ バーリン(1974) p.206-207
  347. ^ カー(1956) p.123/128
  348. ^ ウィーン(2002) p.178
  349. ^ メーリング(1974) 2巻 p.7
  350. ^ a b ウィーン(2002) p.183
  351. ^ 石浜(1931) p.187-188
  352. ^ a b 小牧(1966) p.177
  353. ^ a b カー(1956) p.122
  354. ^ ウィーン(2002) p.187
  355. ^ メーリング(1974) 2巻 p.7-8
  356. ^ 石浜(1931) p.189-190
  357. ^ 小牧(1966) p.177-178
  358. ^ バーリン(1974) p.209
  359. ^ バーリン(1974) p.210
  360. ^ 石浜(1931) p.211
  361. ^ バーリン(1974) p.217
  362. ^ カー(1956) p.186
  363. ^ メーリング(1974) 2巻 p.22-24
  364. ^ 石浜(1931) p.190-191
  365. ^ カー(1956) p.144
  366. ^ メーリング(1974) 2巻 p.24-25
  367. ^ 石浜(1931) p.191-192
  368. ^ メーリング(1974) 2巻 p.27
  369. ^ エンゲルベルク(1996) p.343-344
  370. ^ 石浜(1931) p.195
  371. ^ カー(1956) p.144-145
  372. ^ 石浜(1931) p.195-196
  373. ^ a b カー(1956) p.145
  374. ^ カー(1956) p.146
  375. ^ カー(1956) p.147
  376. ^ カー(1956) p.147-149
  377. ^ a b 小牧(1966) p.178
  378. ^ シュワルツシルト(1950) p.271
  379. ^ a b カー(1956) p.151
  380. ^ 石浜(1931) p.207-209
  381. ^ シュワルツシルト(1950) p.273
  382. ^ 鹿島(2004) p.118-139
  383. ^ a b c カー(1956) p.152
  384. ^ ウィーン(2002) p.225
  385. ^ a b c メーリング(1974) 2巻 p.80-81
  386. ^ カー(1956) p.184
  387. ^ カー(1956) p.207
  388. ^ メーリング(1974)2巻 p.126
  389. ^ 石浜(1931) p.224-225
  390. ^ a b メーリング(1974)2巻 p.126-128
  391. ^ メーリング(1974)2巻 p.133
  392. ^ メーリング(1974)2巻 p.134
  393. ^ 江上(1972) p.110-111
  394. ^ カー(1956) p.209-210
  395. ^ 江上(1972) p.107-108
  396. ^ a b ウィーン(2002) p.266
  397. ^ シュワルツシルト(1950) p.268
  398. ^ ウィーン(2002) p.266-270
  399. ^ a b バーリン(1974) p.240
  400. ^ ウィーン(2002) p.271
  401. ^ 石浜(1931) p.232-233
  402. ^ ウィーン(2002) p.269-270
  403. ^ シュワルツシルト(1950) p.269
  404. ^ 小牧(1966) p.185-187
  405. ^ 小牧(1966) p.188-189
  406. ^ バーリン(1974) p.228
  407. ^ 小牧(1966) p.196-199
  408. ^ 小牧(1966) p.199-204
  409. ^ 小牧(1966) p.203-206
  410. ^ 小牧(1966) p.208
  411. ^ a b c ウィーン(2002) p.296
  412. ^ 江上(1972) p.132
  413. ^ ウィーン(2002) p.297
  414. ^ ウィーン(2002) p.297-298
  415. ^ a b ウィーン(2002) p.298
  416. ^ ウィーン(2002) p.301-303
  417. ^ エンゲルベルク(1996) p.482-483
  418. ^ 江上(1972) p.167-189
  419. ^ 江上(1972) p.209
  420. ^ カー(1956) p.245-246
  421. ^ アウグスト・ベーベル『ベーベル自叙伝』
  422. ^ 江上(1972) p.261
  423. ^ カー(1956) p.248-249
  424. ^ メーリング(1974)2巻 p.194
  425. ^ カー(1956) p.249
  426. ^ カー(1956) p.251
  427. ^ ウィーン(2002) p.319-320
  428. ^ ウィーン(2002) p.320
  429. ^ ガンブレル(1989) p.136-137
  430. ^ ウィーン(2002) p.321
  431. ^ ウィーン(2002) p.322
  432. ^ ウィーン(2002) p.322-323
  433. ^ ガンブレル(1989) p.139
  434. ^ メーリング(1974)3巻 p.182
  435. ^ 石浜(1931) p.241-242
  436. ^ 石浜(1931) p.242-243
  437. ^ 鹿島(2004) p.178
  438. ^ 鹿島(2004) p.369-370
  439. ^ 石浜(1931) p.243
  440. ^ 江上(1972) p.210
  441. ^ カー(1956) p.255
  442. ^ カー(1956) p.259-261
  443. ^ カー(1956) p.259
  444. ^ カー(1956) p.262
  445. ^ 石浜(1931) p.245-249
  446. ^ a b c カー(1956) p.263
  447. ^ a b 石浜(1931) p.249
  448. ^ 石浜(1931) p.256
  449. ^ 小牧(1966) p.211
  450. ^ カー(1956) p.266
  451. ^ カー(1956) p.266-267
  452. ^ カー(1956) p.268
  453. ^ カー(1956) p.266/269
  454. ^ カー(1956) p.270
  455. ^ a b c d カー(1956) p.269
  456. ^ シュワルツシルト(1950) p.329-330
  457. ^ シュワルツシルト(1950) p.330
  458. ^ カー(1956) p.287
  459. ^ カー(1956) p.288-289
  460. ^ カー(1956) p.288-290
  461. ^ メーリング(1974)2巻 p.215-216
  462. ^ a b c カー(1956) p.291
  463. ^ メーリング(1974) 3巻 p.79
  464. ^ シュワルツシルト(1950) p.340-341
  465. ^ a b メーリング(1974)3巻 p.78
  466. ^ a b カー(1956) p.292
  467. ^ a b カー(1956) p.295
  468. ^ メーリング(1974) 3巻 p.81-82
  469. ^ カー(1956) p.296-297
  470. ^ カー(1956) p.297
  471. ^ メーリング(1974) 3巻 p.79-80
  472. ^ a b c 小牧(1966) p.214
  473. ^ カー(1956) p.299
  474. ^ メーリング(1974) 3巻 p.80
  475. ^ ウィーン(2002) p.385
  476. ^ ウィーン(2002) p.387
  477. ^ カー(1956) p.298-299
  478. ^ カー(1956) p.299-300
  479. ^ カー(1956) p.300
  480. ^ ウィーン(2002) p.388-389
  481. ^ カー(1956) p.301
  482. ^ カー(1956) p.302-303
  483. ^ a b c d ウィーン(2002) p.391
  484. ^ メーリング(1974)3巻 p.97
  485. ^ カー(1956) p.303
  486. ^ 石浜(1931) p.269
  487. ^ メーリング(1974)3巻 p.103
  488. ^ a b カー(1956) p.304
  489. ^ カー(1956) p.307
  490. ^ ウィーン(2002) p.399
  491. ^ ウィーン(2002) p.400
  492. ^ ウィーン(2002) p.398
  493. ^ a b カー(1956) p.309
  494. ^ ガンブレル(1989) p.150
  495. ^ カー(1956) p.310
  496. ^ カー(1956) p.333
  497. ^ カー(1956) p.321-325
  498. ^ ウィーン(2002) p.380-383
  499. ^ バーリン(1974) p.243
  500. ^ バーリン(1974) p.242/274
  501. ^ バーリン(1974) p.242-243
  502. ^ a b ウィーン(2002) p.408
  503. ^ バーリン(1974) p.244
  504. ^ 外川(1973) p.390
  505. ^ ウィーン(2002) p.409
  506. ^ a b ウィーン(2002) p.416
  507. ^ バーリン(1974) p.273-274
  508. ^ カー(1956) p.354-355
  509. ^ ウィーン(2002) p.412-413
  510. ^ a b バーリン(1974) p.274
  511. ^ a b ウィーン(2002) p.413
  512. ^ ウィーン(2002) p.412-413
  513. ^ 渡辺孝次(1996)『時計職人とマルクス』同文館p.309-310
  514. ^ a b バーリン(1974) p.276
  515. ^ カー(1956) p.394-395
  516. ^ 石浜(1931) p.275-276
  517. ^ カー(1956) p.395
  518. ^ a b c バーリン(1974) p.277
  519. ^ カー(1956) p.396
  520. ^ a b c d カー(1956) p.397
  521. ^ a b c d カー(1956) p.398
  522. ^ シュワルツシルト(1950) p.411-412/414
  523. ^ カー(1956) p.401-402
  524. ^ カー(1956) p.402
  525. ^ カー(1956) p.403
  526. ^ カー(1956) p.405
  527. ^ カー(1956) p.406
  528. ^ a b カー(1956) p.407
  529. ^ バーリン(1974) p.292
  530. ^ 石浜(1931) p.280
  531. ^ メーリング(1974)3巻 p.215-216
  532. ^ a b カー(1956) p.408
  533. ^ 石浜(1931) p.281
  534. ^ メーリング(1974)3巻 p.216
  535. ^ カー(1956) p.410
  536. ^ 石浜(1931) p.281-282
  537. ^ メーリング(1974)3巻 p.217
  538. ^ 小牧(1966) p.221
  539. ^ メーリング(1974)3巻 p.219-221
  540. ^ 小牧(1966) p.221-222
  541. ^ メーリング(1974)3巻 p.219-221
  542. ^ ウィーン(2002) p.461
  543. ^ 石浜(1931) p.284
  544. ^ 『経済学・哲学草稿』、岩波文庫版、p.298
  545. ^ Schriften von Karl Marx: "Das Manifest der Kommunistischen Partei" (1848) und "Das Kapital", ernster Band (1867)
  546. ^ ガンブレル(1989) p.170
  547. ^ 生誕200年記念「マルクス紙幣」に注文殺到 額面は0 - 朝日新聞
  548. ^ 石浜(1931) p.272
  549. ^ メーリング(1974)3巻 p.175
  550. ^ カー(1956) p.401
  551. ^ 石浜(1931) p.274
  552. ^ ウィーン(2002) p.354
  553. ^ a b 小泉(1967) p.29
  554. ^ ウィーン(2002) p.353
  555. ^ a b c メーリング(1974)3巻 p.176
  556. ^ メーリング(1974)3巻 p.176-177
  557. ^ a b メーリング(1974)3巻 p.177
  558. ^ メーリング(1974)3巻 p.177-178
  559. ^ バーリン(1974) p.291
  560. ^ a b c d e メーリング(1974)3巻 p.178
  561. ^ a b c バーリン(1974) p.290
  562. ^ カー(1956) p.126
  563. ^ 木原武一『天才の勉強術』新潮選書、1994年。
  564. ^ ウィーン(2002) p.463
  565. ^ a b c カー(1956) p.124
  566. ^ a b ウィーン(2002) p.182
  567. ^ メーリング(1974) 2巻 p.75
  568. ^ a b ウィーン(2002) p.299
  569. ^ ウィーン(2002) p.51
  570. ^ ハイルブローナー(2001)
  571. ^ ウィーン(2002) p.81
  572. ^ ウィーン(2002) p.315-319
  573. ^ ウィーン(2002) p.357
  574. ^ John Bellamy Foster, Marx's Ecology: Materialism and Nature, p. 207.
  575. ^ ウィーン(2002) p.163
  576. ^ バーリン(1974) p.118
  577. ^ シュワルツシルト(1950) p.109
  578. ^ メーリング(1974)2巻 p.184
  579. ^ テレル・カーヴァー(1995)『マルクスとエンゲルスの知的関係』世界書院 p.153
  580. ^ オフェル・フェルドマン(2006)『政治心理学』ミネルヴァ書房 p.35
  581. ^ E.H.カー(1962)『歴史とは何か』岩波新書 p.134-136
  582. ^ イーグルトン(2011)『なぜマルクスは正しかったのか』河出書房新社 p.84
  583. ^ マルクス(2002)『ドイツ・イデオロギー』岩波文庫 p.230
  584. ^ マルクス(2008)『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』平凡社 p.198
  585. ^ E.H.カー(1962)『歴史とは何か』岩波新書 p.149
  586. ^ ウィーン(2002) p.73
  587. ^ 江上(1972) p.13
  588. ^ カー(1956) p.243
  589. ^ シュワルツシルト(1950) p.311
  590. ^ a b マルクス(1844)『ユダヤ人問題によせて』
  591. ^ シュワルツシルト(1950) p.155
  592. ^ a b ウィーン(2002) p.333
  593. ^ a b ウィーン(2002) p.333-334
  594. ^ ウィーン(2002) p.334-335
  595. ^ a b メーリング(1974)3巻 p.77
  596. ^ 石浜(1931) p.219
  597. ^ メーリング(1974)3巻 p.77-78
  598. ^ ウィーン(2002) p.385-386
  599. ^ 共産党宣言第二章
  600. ^ ウィーン(2002) p.244-245
  601. ^ カー(1956) p.183
  602. ^ カー(1956) p.316
  603. ^ マルクス・エンゲルス、大内兵衛・向坂逸郎訳(1848:1946)『共産党宣言』岩波書店p.86
  604. ^ マルクス「総評議会からラテン系スイス連合評議会へ」『マルクス・エンゲルス全集 16巻』大月書店p.383.
  605. ^ 今村仁司「解説」『マルクス・コレクション6』440-444頁
  606. ^ マルクス「イギリスのインド支配の将来の結果」『マルクス・エンゲルス全集 9巻』大月書店p.210-211.
  607. ^ マルクス「中国とヨーロッパにおける革命」『マルクス・コレクション6』296-297頁
  608. ^ ウィーン(2002) p.467-468
  609. ^ カー(1956) p.412-413
  610. ^ バーリン(1974) p.19
  611. ^ バーリン(1974) p.18-20/205
  612. ^ 城塚(1970) p.132
  613. ^ ウィーン(2002) p.276
  614. ^ 小牧(1966) p.51/229
  615. ^ ウィーン(2002) p.218-219
  616. ^ ウィーン(2002) p.218
  617. ^ 廣松(2008) p.155-156
  618. ^ ウィーン(2002) p.68
  619. ^ メーリング(1974) 1巻 p.47
  620. ^ 石浜(1931) p.133-134
  621. ^ メーリング(1974) 1巻 p.47-48
  622. ^ カー(1956) p.404
  623. ^ 石浜(1931) p.289
  624. ^ ウィーン(2002) p.392
  625. ^ 石浜(1931) p.290
  626. ^ ウィーン(2002) p.462
  627. ^ 石浜(1931) p.134
  628. ^ ウィーン(2002) p.261-262
  629. ^ ウィーン(2002) p.264
  630. ^ ウィーン(2002) p.200
  631. ^ ウィーン(2002) p.211
  632. ^ カー(1956) p.386-387
  633. ^ ウィーン(2002) p.461-462
  634. ^ カー(1956) p.121
  635. ^ ウィーン(2002) p.205-211
  636. ^ ウィーン(2002) p.205
  637. ^ ウィーン(2002) p.209
  638. ^ ウィーン(2002) p.206
  639. ^ ウィーン(2002) p.205/462
  640. ^ 中国がドイツに贈った「巨大マルクス像」が大論争を起こしたワケ”. 現代ビジネス (2018年5月11日). 2019年3月29日閲覧。
  641. ^ マルクス像寄贈は中国のプロパガンダか? 独で議論「独裁の土台」「毒のある贈り物」”. 産経ニュース (2018年5月4日). 2019年10月16日閲覧。





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「カール・マルクス」の関連用語

カール・マルクスのお隣キーワード

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   
検索ランキング



カール・マルクスのページの著作権
Weblio 辞書情報提供元は参加元一覧にて確認できます。

  
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのカール・マルクス (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2019 Weblio RSS