アルフレート1世・ツー・ヴィンディシュ=グレーツとは? わかりやすく解説

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アルフレート1世・ツー・ヴィンディシュ=グレーツ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/04 03:49 UTC 版)

陸軍元帥ヴィンディシュ=グレーツ侯爵、ヨーゼフ・クリーフーバー画、1848年
ヴィンディシュ=グレーツ侯、ルートヴィヒ・アンゲラー撮影、1860年

アルフレート1世・カンディードゥス・フェルディナント・ツー・ヴィンディシュ=グレーツ(Alfred I. Candidus Ferdinand Fürst zu Windisch-Graetz, 1787年5月11日[1] ブリュッセル - 1862年3月21日 ウィーン)は、オーストリアの貴族、軍人。陸軍元帥

生涯

ボヘミアのターハウ(現在のチェコプルゼニ州タホフ英語版)の領主ヨーゼフ・ニクラス・ツー・ヴィンディシュ=グレーツ伯爵と、その2番目の妻でアーレンベルク公爵家の当主シャルル・マリー・レーモンの娘であるレオポルディーヌ(1751年 - 1812年)の息子として生まれた。1804年5月にヴィンディシュ=グレーツ侯爵(Fürst zu Windisch-Graetz)に陞爵し、同年6月に17歳でオーストリア軍槍騎兵連隊所属の陸軍中尉に任官した。第3回、第5回、第6回の対仏大同盟戦争に参加、ライプツィヒの戦いなどで戦功を立て、ウィーン会議中には戦争の英雄としてもてはやされた。

1817年6月15日にフラウエンベルク(現在のチェコ領南ボヘミア州フルボカー・ナド・ヴルタヴォウ)において、シュヴァルツェンベルク侯女エレオノーレ(1796年 - 1848年)と結婚し、長男のアルフレート2世(1819年 - 1876年)をはじめ間に7人の子女をもうけた。エレオノーレはシュヴァルツェンベルク侯フェリックスの姉である。

1835年より自らの名前を通称に冠した第14竜騎兵連隊(Böhmisches Dragoner-Regiment „Fürst zu Windisch-Graetz“ Nr. 14)の連隊長を務めた。

ヴィンディシュ=グレーツは、1848年から1849年にかけてのオーストリア帝国領における革命運動ドイツ語版英語版を抑圧した人物として知られ、自由主義者や民主主義者の間では非常に悪名高い人物となった。1848年6月中旬にプラハ6月暴動ドイツ語版に際し、暴徒側に妻を殺害されながらも、プラハの首都長官として暴動を鎮圧した。フリードリヒ・エンゲルスは自らの発行する「新ライン新聞」において、ヴィンディシュ=グレーツの暴動鎮圧を「オーストリアのごろつき軍隊がチェコ人に暴虐を働いたおかげで、ボヘミアとドイツ諸邦の平和的共存の可能性は完全に失われた」と酷評している。

1848年10月のウィーン蜂起において、ヴィンディシュ=グレーツは皇帝フェルディナント1世によって鎮圧軍の最高司令官に任命された。10月31日のウィーン市街地への進軍によりヴィンディシュ=グレーツは反革命派の勝利を確実なものとしたが、暴徒側から約2000人の死者と夥しい負傷者を出す結果となった。即決裁判による革命派政治家の処刑、とりわけフランクフルト国民議会議員のロベルト・ブルームドイツ語版の処刑は、国内外で大きな反発を引き起こした。

ヴィンディシュ=グレーツは1849年3月のハンガリーの独立革命運動の鎮圧にも大きな役割を果たした。侯爵はオーストリア軍を率いてハンガリーに進駐し、1849年2月末のカポルナの戦い英語版でハンガリー軍を破った。同年4月10日、義勇兵とポーランド人亡命民族主義者から構成されていたハンガリー革命軍は、オーストリア軍に最終的に敗北して解散を余儀なくされた。しかしその2日後の1849年4月12日、ヴィンディシュ=グレーツは新皇帝フランツ・ヨーゼフ1世との意見の相違から陸軍大臣を解任され、後任にはルートヴィヒ・フォン・ヴェルデンドイツ語版男爵が選ばれた。ヴィンディシュ=グレーツはボヘミアの領地に引退した。

その後、ヴィンディシュ=グレーツは外交面で様々な活躍を見せ、1859年にはマインツ要塞ドイツ語版の総司令官となり、1861年にはオーストリア貴族院議員となった。翌1862年にウィーンで世を去った。

脚注

  1. ^ 367日誕生日大事典の解説”. コトバンク. 2018年2月11日閲覧。

参考文献

関連項目

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