ユダヤ人問題によせて
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『ユダヤ人問題によせて』(ユダヤじんもんだいによせて、ドイツ語: Zur Judenfrage)は、カール・マルクスが1843年に執筆し、翌年『独仏年誌』に発表した論文。後年の唯物史観を形成する上で1つの画期となったものの、草稿自体は現存していない[1]。
- ^ a b Marx-Engels Gesammtausgabe (MEGA), Volume II, apparatus, pp. 648 (German) Dietz, Berlin 1982
- ^ ブルーノ・バウアー「ユダヤ人問題」ブラウンシュバイク、1843年
- ^ ブルーノ・バウアー「現代のユダヤ人とキリスト教徒の自由になりうる能力」『二一ボーゲン』1843年、pp.56-71
- ^ マルクス 1844年:
私的所有の政治的な撤廃によって、私的所有は廃止されないばかりか、かえって前提さえされているのである。国家が、生まれや身分や教養や職業を非政治的な区分であると宣言するとき、国家がこれらの区別にかまわずに国民のあらゆる成員を国民主権への平等な参加者であると布告するとき、国家が現実の国民生活のすべての要素を国家の見地から取扱うとき、国家は、生まれ・身分・教養・職業の区別を国家なりの仕方で廃止している。しかし、だからといって、国家は、私的所有や教養や職業がそれらなりの仕方で、すなわち私的所有として、教養として、職業として、作用し、それぞれの特殊な本質を発揮するのを妨げはしない。国家は、これらの事実上の区別を廃止するどころか、むしろその区別を前提としてはじめて存在し、自己を政治的国家として感じるのであり、自己のもつこれらの諸要素と対立することによってはじめて国家は自己の普遍性を発揮するのである。
- ^ マルクス 1844年:
他方、ユダヤ人が自分のこの実際的な本質をつまらぬものとみとめてその廃棄にたずさわるならば、彼らは自分のこれまでの発展から抜けでて、人間的解放そのものにたずさわり、そして人間の自己疎外の最高の実際的表現に背をむけることになる。
- ^ マルクス 1844年:
ユダヤ人がユダヤ人的なやり方で自己を解放したのは、ただたんに彼らが金力をわがものとしたことによってではなく、貨幣が、彼らの手を通じて、また彼らの手をへないでも、世界権力となり、実際的なユダヤ精神がキリスト教諸国民の実際的精神となったことによってなのである。ユダヤ人は、キリスト教徒がユダヤ人になっただけ、それだけ自分を解放したのである。(中略)ユダヤ人の社会的解放はユダヤ教からの社会の解放である。
- ^ Engels, Marx: The Holy Family 1845, Chapter VI, The Jewish QuestionNo. 1,No. 2,No. 3
- ^ Karl Marx Selected Essays, tanslated by H. J. Stenning (Leonard Parsons, London and New York 1926), p. 40-97
- 1 ユダヤ人問題によせてとは
- 2 ユダヤ人問題によせての概要
- 3 参考文献
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