政治的及び人間的解放
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/17 01:17 UTC 版)
「ユダヤ人問題によせて」の記事における「政治的及び人間的解放」の解説
マルクスから見ると、ブルーノは政治的解放と人間的解放とを混同しており、上記の通り現代国家で政治的解放がなされるにしても、ユダヤ人(或いはクリスチャン)に棄教を求めることはない。というのも、全き人間的解放が成就した暁には宗教が消滅するであろうが、それは「現在の世界秩序の範囲内」において不可能だからである。 本論文の第2部(かなり短いが今日においても最も頻繁に議論され引用されている)では、バウアーによるユダヤ教の「神学的」分析とキリスト教との関係を批判している。バウアーはユダヤ教がキリスト教の発展段階において原始的なものに留まっている以上、ユダヤ人が棄教することは極めて困難と述べているが、マルクスはこれに対し、ユダヤ人の経済生活が精神面に反映されたものに過ぎず、ユダヤ教とは何ら無関係であるとした。 それ故、バウアーが述べたようにユダヤ教は社会から抹殺する必要が無いばかりか、その一部でさえある。マルクスは「実際的ユダヤ教」と「賤業」とを比喩的に同一視しながら、「クリスチャンがユダヤ人となり」、遂には人類全体を「実際的」ユダヤ教から解放する必要があると結論付けた。
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