しん‐さよく【新左翼】
新左翼
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新左翼(しんさよく、ニューレフト、英語: New Left)は、第二次世界大戦後の1960年代に欧米や日本などの先進国において、主に大学生や青年労働者らによって構成された革命を志向する左翼的な政治運動、政治勢力のこと。
概要
この呼称は元々英国でニューレフト・レビューを発行していたグレートブリテン共産党の左派に由来する[2][3]。旧来の共産党や社会民主主義政党について、権力にしがみつき戦わない左翼である既成左翼として批判し、それらの議会政治左翼とは異なり、自らは戦闘的左翼または革命的左翼であるして、急進的な革命を志向し過激な直接行動に出たため、「新左翼」と呼ばれた。
これらの基本的イデオロギーとしては反パターナリズムに基づく反共産党、反帝国主義、反スターリン主義(反帝反スタ)、アナキズム(プルードン主義、バクーニン主義、クロポトキン主義、アナルコ・サンディカリスム)、マルクス主義(トロツキズム)、毛沢東主義、アイデンティティ政治(戦争責任問題、人種・民族問題、男女差別問題などマイノリティー擁護マジョリティ糾弾)、エコロジーなどが柱となっている。
各国の新左翼
フランス
イタリア
日本
アメリカ合衆国
アメリカでは1960年代後半からベトナム反戦運動が盛り上がり、公民権運動は学生非暴力調整委員会(SNCC)やブラックパンサー党の登場で急進化した。1968年にはニューヨークのコロンビア大学をはじめとする多くの大学が急進派の学生に封鎖され、非暴力による黒人解放運動を指導していたマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師が暗殺されると全米でいっせいに黒人による暴動が発生した。
ドイツ
ドイツにおいても他の西側諸国同様、1960年代に新左翼による運動が盛り上がった。同国における新左翼は議会外反対派(APO)を形成して議会の外からの政治的圧力を高める手法を採ったが、特にドイツ社会民主党(SPD)の青年組織であった社会主義ドイツ学生同盟(SDS)の影響力が大きいと言える。
ドイツにおける新左翼の問題意識は、非ナチ化が不徹底に終わったために政府や大企業の要職に元ナチ党員が居座る当時の社会状況、また冷戦の最前線にあって核問題や再軍備といった切迫した戦争への危機感が運動の下地になっており、実際に新左翼が参加した軍縮・平和を求めるイースター行進運動は年を追うごとに参加者が増加。1968年には30万人近い人々が参加する運動になった[4]。
また1968年にはキージンガー政権(キージンガー自身も元ナチ党員という経歴を持つ)が提出した緊急事態法に対する反対運動が起き、同年5月11日に行われた星状行進には約10万人が参加し議会外反対派として最大の運動になるが、5月30日には議会で緊急事態法が成立したことで阻止に失敗。以後多くの労働組合がAPOから手を引いたことや学生運動の衰退もあり、同国での新左翼による社会運動は一つの区切りを迎えた[5]。
ドイツではルディ・ドゥチュケが指導し、ドイツ赤軍(バーダー・マインホーフ・グルッペ)などが1970年代の後半には「ドイツの秋」と呼ばれる一連のテロ事件を起こしたが、1980年代には当局の弾圧もあり下火になり、ドイツ赤軍は1998年には解散を宣言した。
イスラエル
中国
参考文献
- 井関正久「戦後ドイツの抗議運動『成熟した市民社会』への模索」岩波書店、2016年6月17日、ISBN 978-4-00-029190-3
- 西田慎「第4章 緑の党の結党と新左翼の流入」『ドイツ・エコロジー政党の誕生 ――「六八年運動」から緑の党へ――』昭和堂、2009年12月。ISBN 978-4-8122-0960-8 。 -ドイツの新左翼各グループの解説に一章を割き、彼らと緑の党の連関を明らかにしている。
- 西田慎/梅崎透「グローバル・ヒストリーとしての『1968年』-世界が揺れた転換点-」ミネルヴァ書房、2015年7月25日、ISBN 978-4-623-07382-5
- ノルベルト・フライ著/下村由一訳「1968年反乱のグローバリズム」みすず書房、2012年4月10日、ISBN 978-4-622-07680-3
出典
- ^ Douglas Kellner. "Illuminations: Kellner". Retrieved May 14, 2017.
- ^ Ian Birchall, "The Autonomy of Theory: A Short History of New Left Review," International Socialism [London], no. 10 (Winter 1980/81), pg. 53.
- ^ Michael Kenny The First New Left: British Intellectuals After Stalin London: Lawrence & Wishart
- ^ 西田慎/梅崎透『グローバルヒストリーとしての「1968年」-世界が揺れた転換点-』ミネルヴァ書房、2015年7月25日、168頁。 ISBN 978-4-623-07382-5。
- ^ 井関正久『戦後ドイツの抗議運動「成熟した市民社会」への模索』岩波書店、2016年6月17日、46-50頁。 ISBN 978-4-00-029190-3。
外部リンク
- Marxist Internet Archive 日本語
- New Left Review website Articles, interviews and book reviews, with an archive going back to 1960.
- Letter to the New Left C. Wright Mills
- Andre Gorz: Appendix to Critique of Economic Reason: Summary for Trade Union and Other Left Activists
- Michael R. Krätke,Die Mühen des Dritten Wegs-Otto Bauer ist an allem schuld!
新左翼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 14:27 UTC 版)
スターリン批判や日本共産党の六全協での方針転換への反発などで、1950年代末期から1960年代前半にかけて既成左翼を批判する新左翼が生まれた。1960年代から1970年代初頭の新左翼の多くの党派は平和革命を否定し暴力革命による社会主義革命を主張し、学園闘争や安保闘争、成田空港闘争などで急進的な武装闘争を行った。特に共産主義者同盟赤軍派は前段階武装蜂起論を主張して大菩薩峠事件など、連合赤軍は人民戦争理論の影響を受けてあさま山荘事件など、日本赤軍は国際根拠地論を主張して日本赤軍事件を発生させた。また1970年代に東アジア反日武装戦線が反日亡国論やアイヌ革命論などを主張して連続企業爆破事件を発生させた。結果としてこれらのテロは民衆の新左翼への支持を完全に失なわせる結果となった。2000年以降はゲリラ闘争は減少したが、以後も多くの党派は暴力革命を主張している。ただしその内容には幅がある。 プロレタリア革命は暴力革命であり、プロレタリア独裁の樹立こそ革命の核心問題である — 革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)2009年綱領草案 革命とは暴力革命でなければならないし、一斉武装蜂起です。 — 革命的共産主義者同盟再建協議会(中核派関西派、2008年) 私たちは「暴力革命」という立場をいまも堅持しています。「暴力革命」の本質は、「暴力で革命を行う」ということではありません。「革命をめざす大衆的闘いを押しつぶそうとする権力の暴力装置である軍隊や警察を政治的に解体し、労働者人民の側に獲得すること」です。 — 日本革命的共産主義者同盟 (JRCL) 私たちは革命とその目的をどのように考えているか(2003年) プロレタリア暴力革命の最先端の任務を共に担いぬこう! — 革命的労働者協会(解放派)(革労協・赤砦社派、2012年)
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