新左翼からの転向・転進
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 03:52 UTC 版)
「日本の新左翼」の記事における「新左翼からの転向・転進」の解説
左翼から右翼へ転向する者は古今東西に存在するが、日本の新左翼にも共産主義を放棄して、新保守派へ転向する者が存在する(マルクス主義青年同盟→民主統一同盟など。著名人では猪瀬直樹、テリー伊藤、山内昌之など)。見沢知廉は戦旗派に加盟していたが、離脱して新右翼の一水会、統一戦線義勇軍に加入。後に作家としてデビューした。また「行動する保守」の提唱者である西村修平は毛沢東主義者であった。西村は左派の行動的手法を「行動する保守活動」に持ち込んだとされる。 新左翼運動から環境主義運動へ軸足を転進させる者も多い、いわゆる赤から緑へと言う傾向である。共産主義者同盟(ブント)の戦旗日向派は市民団体のブントへと改称し、共産主義を放棄し環境保護NGOを名乗っている。共労党プロレタリア革命派は、自治・連帯・エコロジーをめざす政治グループ・蒼生と名称変更後、緑の党結党の中心的役割を果たした。消費者運動を経て、東京・生活者ネットワークなど中道主義的党派を結成し議会に進出している潮流もある。 また、一部はヒッピー運動やポストモダン思想、ニューエイジ思想、スローライフ運動などの影響を受け、自己啓発セミナーやオカルト・スピリチュアリズム界にも進出した。このことがヤマギシ会やオウム真理教などを台頭させる土壌作りを果たすことにもなったと見る向きもある(詳細については日本原住民論、反日亡国論を参照)。ちなみに、過去に中核派、第四インターと二つのセクトを渡り歩き、現在は政治評論などを行っている新左翼活動家である村岡到は、ヤマギシ会を称賛する書籍を書いている。また、ジャーナリストの斉藤貴男によると、1970年前後には、革命運動に傾倒し、挫折した全共闘の学生が「最後のユートピア」を求め、ヤマギシ会に大量に流入したという。
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