じつぞん‐しゅぎ【実存主義】
じつぞんしゅぎ 【実存主義】
実存主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/06 00:19 UTC 版)
実存主義(じつぞんしゅぎ、英: existentialism、仏: existentialisme)とは、人間の実存を哲学の中心におく思想的立場、或いは本質存在(essentia)に対する現実存在(existentia)の優位を説く思想的立場である。存在主義とも。またその哲学を実存哲学という。キルケゴール、ヤスパースらのキリスト教実存主義、サルトル、メルロ=ポンティらの無神論実存主義などがある。小説家ドストエフスキーもキリスト教実存主義に含まれる。
- ^ Cooper, D. E. (1990). Existentialism: A Reconstruction. Basil Blackwell. p. 1
- ^ Flynn 2006, p. 89.
- ^ Daigle, Christine (2006). Existentialist Thinkers and Ethics. McGill-Queen's University Press. p. 5
- ^ Ann Fulton, Apostles of Sartre: Existentialism in America, 1945–1963, Evanston, IL: Northwestern University Press, 1999, p. 12-13 & 18–19.
- ^ L'Existentialisme est un Humanisme (Editions Nagel, 1946); English Jean-Paul Sartre, Existentialism and Humanism (Eyre Methuen, 1948).
- ^ MARTIN HEIDEGGER ACADEMIA 2024年4月1日閲覧
- ^ Explaining Sartre's "Existence Precedes Essence" that-which 2024年3月5日閲覧
- ^ The Faith of the Invisible Man bu.edu 2024年4月1日閲覧
- ^ 1933年(昭和8年)の雑誌『哲学』内の論文「実存哲学」において/語源はex-sistere=続けて外に立つの意味
- ^ Plato and Aristotle・・ 2024年2月6日閲覧
- ^ 実存 2024年3月2日閲覧
- ^ ドイツ語では「Was vernünftig ist, wird wirklich, und das Wirkliche wird vernünftig.」となる
- ^ Emanuel, Swedenborg The Soul, or Rational Psychology translated by Tafel, J. F. I. 1796–1863
- ^ Eighteen Upbuilding Discourses, Hong trans., pp. 332ff (The Thorn in the Flesh).
- ^ Søren Kierkegaard 1846, Concluding Unscientific Postscript to Philosophical Fragments, Hong pp. 310–311.
- ^ Copleston, F. C. (2009). “Existentialism”. Philosophy 23 (84): 19–37. doi:10.1017/S0031819100065955. JSTOR 4544850.
- ^ 梅田寛『ゲルツェンの事ども』、1925年。春陽堂。
- ^ 1811-1898。現在のフィンランドで生まれたロシアの文芸評論家
- ^ 1812-1870。ロシアの哲学者、作家、編集者
- ^ 1828-1889.ロシアの哲学者、経済学者。ナロードニキの共同創設者
- ^ [1] Vaia 2024年4月2日閲覧
- ^ Martin Heidegger, Logik als die Frage nach dem Wesen der Sprache, VittorioKlostermann, Frankfurt am Main, Gesamtausgabe Band 38. p163.
- ^ Heidegger in ruins・・ theconversation.com 2024年2月8日閲覧
- ^ NHK 名著48 サルトル「実存主義とは何か」
- ^ 松浪信三郎 『実存主義』 (岩波新書 青版 456) ISBN 4004120101
- ^ Allgemeine Literatur-Zeitung,第3-4巻
実存主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 10:09 UTC 版)
実存主義においては、それぞれの男と女は彼と彼女の人生の本質(意味)を創造する、とされる。そして、人生は超自然的な神ないし地上の権威によって決定されておらず、我々は自由である。かくして、我々の倫理的で主要な行いは自由、そして自己決定である。このように、実存主義は理性を重要視する合理論や科学的な見方をする実証主義に反対する。人生の意味を知ることに関して、実存主義者は理性のみを用いるのは不十分であるとする。この不十分は不安と恐怖の感情を起こし、自由への直面と同時に起こる死の自覚を我々に感じさせる。実存主義者にとっては、(サルトルが言ったように)実存は本質に先立ち、一人の者の人生の本質は一人の者が存在するようになる後のみに生じている。 セーレン・キルケゴールは「信頼の跳躍」という言葉を作り、人生は不条理で満たされていて、世界は我々に無関心ではあるが、我々人間は自分自身の価値を作るべきなのだ、とした。我々は、人間という有限な生しか持たない存在とも、条件をつけたりせずに関わりを持つことによって、意味に満ちた人生を生きることができるのであり、それによって絶望と不安から解放されるのである。たとえ他の人々と関わることは自分が傷ついてしまう結果をうみがちだとしても、それでも他の人々と関わり合うことで、そうすることによってこそ、意味のある人生が送れる、とした。 アルトゥール・ショーペンハウアーによると、「人生の意味とは何か?」という問いにおいて、我々の生は我々自身の意志を反映しているのであり、意志、生には目的がなく、非合理的で、苦痛を伴う運動だと定められている。ショーペンハウワーによれば、美的な瞑想、他者からの共感を求めること、そして禁欲主義というのは、救い・救済・痛みからの逃避なのである。 ニーチェに言わせると、生きたいと思わせるような目的がある時にだけ、人生というのは生きるに値する。ニーチェは、「全ては意味が無い」などとしてしまうニヒリズムなどというのは要は目的が欠如しているのだ、と指摘した。ニーチェはまた禁欲主義というのも人生の否定だ、とした。ニーチェは、価値というのは、客観的な事実なのではなく、人間の理知が必要としているものなのであって、世界と自分を結ぶコミットメントなのだ、と述べた。つまり結局、人生をどう評価するか、ということは解釈の問題なのであって、世界自体が(客観的に)どうあるか、という問題ではないのである。そして人が想うことは、その人の特定の立場から来ているのだ、とした(ニーチェのこの考え方は「perspectivism 遠近法主義」と言う)。
※この「実存主義」の解説は、「人生の意義」の解説の一部です。
「実存主義」を含む「人生の意義」の記事については、「人生の意義」の概要を参照ください。
実存主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 13:42 UTC 版)
実存主義(じつぞんしゅぎ、フランス語: existentialisme、英語: existentialism)は、人間の実存を哲学の中心におく思想。本質存在(essentia)に対する現実存在(existentia)の優位を説く思想とされている。横濱専門学校(神奈川大学)では京都大学出身の実存主義哲学者(京都学派)の信太正三がフリードリヒ・ニーチェを研究(著書『ニイチェ研究 実存と革命』創文社1956年等)、やはり京都大学で哲学を専攻した草薙正夫は日本で最も早期にカール・ヤスパースの思想を研究し(著書『実存哲学の根本問題 現代におけるヤスパース哲学の意義』創文社1962年等)、1951年2月23日(2月23日はヤスパースの誕生日)武藤光朗、鈴木三郎、金子武蔵と共に「日本ヤスパース協会」を創立し、神奈川大学に教授として在籍した。
※この「実存主義」の解説は、「無限革命論」の解説の一部です。
「実存主義」を含む「無限革命論」の記事については、「無限革命論」の概要を参照ください。
実存主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/11 06:02 UTC 版)
モッラー・サドラーによれば、「実存は本質に優先する。そのため何かあるものは本質を獲得する以前に存在しなければならないので、実存こそが第一のものである。」 モッラー・サドラーにとってこのことが特にイスラーム黄金時代の宇宙論的哲学やコーランの章句における神の位置づけを調停するという文脈において他でもない神や宇宙にける神の位置づけに適用される問題であることは注目に値する。 モッラー・サドラーの形而上学では本質よりも実存に優越性、あるいは「ab initio」を持たせている。これはつまり、(アンリ・コルバンの定義を使えば)本質は存在の「強度」によって決定あるいは変化し、またそういった本質は不変のものではない。この構想の利点は、これまでのイスラーム哲学者たちのアリストテレス的あるいはプラトン的な土台をゆるがせにしなくともクルアーンの基本的な言明を受け入れられるという点にある。 事実、モッラー・サドラーは本質と実存が互いに分かちがたく結びつき、神の力が実存に及んでいる一方で神にのみ不変性があると想定している。そうすることで同時に、神が万物に対して権威を持ち、神が悪をも含めた個別的な知識を、神がそれらの原因であることなしに持つという問題を解決することができる。さらに同時に悪が存在するための枠組みを提供する実存の存在に対して神の権威が及ぶことになる。この巧妙な解決によって自由意思、神の至高性、神の知識の無限性、悪の存在、人間が考える限りでは互いに密接に結びついているが神の思考においては基本的には分離している実存と本質などといったものが成立可能になる。 おそらくもっとも重要なこととして、実存を優位に置くことによる解決によって神が悪から直接的にしろ間接的にしろ影響を受けることなくその悪を見積もることができるということがある。神は罪を知るうえで罪を持つ必要がない。神は実存を理解しているので罪の強度を見積もることができる。 この実存主義の帰結として、「理性と理性によって捉えられるものとの合一」(亜: Ittihad al-Aaqil wa l-Maqul)ということになる。アンリ・コルバンは以下のように言っている:.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0} あらゆるレベルの存在の様態や知覚は合一の法則に支配されている。理性でとらえられる世界でも同じ法則によって、理性、理性によって捉えられる主題、理性によって捉えられた形相の合一が起こる。この合一は愛、愛する者、愛される者の合一と同じものである。この考えの下で我々は、聖霊である活動的理性による知識に対するそれの振る舞いに対する最高の意識の内での人間と魂の結合的合一ということでサドラーが何を言おうとしたのかを理解することができる。これは決して算数における合一(加算)のような問題ではない。そうではなく、変化し続ける魂の内部で活動する理性によって捉えられる形相―あるいはイデア―が自身を捉えるイデアであり、結果として活動する理性つまり聖霊が理性の活動に対する魂の振る舞いの中で自己を捉えることを私たちができるようになる相互関係を可能にするような、理性でとらえられる合一の問題である。相互に、自己を捉える形相としての魂は活動的な理性によって捉えられる形相として自己を捉える。
※この「実存主義」の解説は、「モッラー・サドラー」の解説の一部です。
「実存主義」を含む「モッラー・サドラー」の記事については、「モッラー・サドラー」の概要を参照ください。
「実存主義」の例文・使い方・用例・文例
- サルトルとカミューは実存主義者としていっしょにあげられる.
- 実存主義の、または、実存主義によって考えられるように
- 実存主義の関する、またはそれにかかわる
- 実存主義の運動
- 実存主義哲学
- 彼の考えの実存主義的な特徴
- フランスのフェミニスト、実存主義者、小説家(1908年−1986年)
- ドイツの哲学者で、世界の物体の人間の実存と不安に関する見解が実存主義の哲学者に影響を与えた(1889年−1976年)
- 一般的にニーチェと共に考えられる、実存主義の創始者であるデンマークの哲学者(1813年−1855年)
- フランスの作家で実存主義者の哲学者(1905年−1980年)
- 実存主義における実存
- 実存主義という,人間の実在を中心におく哲学の考え方
実存主義と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
- 実存主義のページへのリンク