実存主義と現象学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/08 02:52 UTC 版)
「まなざし (哲学)」の記事における「実存主義と現象学」の解説
まなざしを「他者についてのあらゆる理論の基礎ともなるこの根本的な結びつき」であると述べ、見ること、見られることを人間の主体と他者の関係を論ずる上での基盤に位置づけた実存主義及び現象学の哲学者であり、『出口なし』などの不条理劇の著者でもあるジャン=ポール・サルトルは「<まなざし>の哲学者」と言われることもある。既に1939年、エッセイ「顔」を書いていた頃から、サルトルはまなざしの問題に関心を抱いていた。1943年に刊行された主著『存在と無』におけるまなざしは「対他的存在としての人間が他を客体化しようとする」際に不可欠なものとして位置づけられており、「私がまなざされてあるということからのみ、やがて対自存在の事実性としての身体の分析が引き出され得る」と考えた。サルトル以降、「現象学は、人間の実存を、事物についての意識や他者の眼差しの問題としてテーマ化する方法」としてさまざまな文芸や思想に影響を及ぼすこととなった。サルトル以降にまなざしに関する議論を行った主要な現象学の研究者としては、『眼と精神』 (1961) などを著したモーリス・メルロー=ポンティや『全体性と無限』(1961) などを著したエマニュエル・レヴィナスなどがいる。
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