実子・阿虎とその子孫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 15:24 UTC 版)
娘の阿虎は実頼出奔後、兄・兼続が預かり、慶長14年(1609年)に兼続の養女として本多政重に嫁いだ。後に政重が上杉家を離れ前田家に帰参すると、夫の居る加賀国へ行き、同地で没した。この時、本庄長房ら多くの者が、阿虎に従って政重に仕えた。阿虎の子、政次は母に先立って早世した。政次の子、樋口朝政は甥の本多政長に仕え、その子の定政は加賀藩馬廻役、青地家(1000石)に養子入りした。子孫には、『可観小説』の作者で室鳩巣の高弟である儒学者の青地礼幹が知られている。
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