グレートブリテンおよびアイルランド‐れんごうおうこく〔‐レンガフワウコク〕【グレートブリテン及びアイルランド連合王国】
グレートブリテン及びアイルランド連合王国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/19 00:07 UTC 版)
- グレートブリテン及びアイルランド連合王国
- United Kingdom of Great Britain and Ireland
-
←
←1801年 - 1922年 →
→
→
→
(国旗) (国章) -
国の標語: Dieu et mon droit
神と我が権利 -
国歌: God Save the King
国王陛下万歳
(1801年 - 1837年/1901年 - 1922年)
God Save the Queen
女王陛下万歳
(1837年 - 1901年) -
イギリスの位置(1914年) -
言語 英語
スコットランド語
アイルランド語
スコットランド・ゲール語
ウェールズ語首都 ロンドン - 国王
-
1801年 - 1820年 ジョージ3世 1820年 - 1830年 ジョージ4世 1830年 - 1837年 ウィリアム4世 1837年 - 1901年 ヴィクトリア 1901年 - 1910年 エドワード7世 1910年 - 1922年 ジョージ5世 - 首相
-
1801年 - 1804年 ヘンリー・アディントン 1916年 - 1922年 デビッド・ロイド=ジョージ - 面積
-
315,093km² - 人口
-
1801年 16,000,000人 1911年 45,221,000人 - 変遷
-
成立 1801年1月1日 アイルランドの独立 1922年12月6日 国号を
グレートブリテン及び北アイルランド連合王国へ改称1927年4月12日
通貨 UKポンド 現在 イギリス
アイルランド
ブリテンの歴史![]() |
|||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
アイルランド | イングランド | スコットランド | |||||||||
先史時代 | |||||||||||
ゲール人 | ブリタンニア | ピクト人 | |||||||||
オニール時代 | 七王国 | ダルリアダ | |||||||||
ノルマン朝イングランド王国 | アルバ王国 | ||||||||||
プランタジネット朝 (国名同上。アンジュー帝国とも) |
|||||||||||
独立戦争 | |||||||||||
百年戦争 | |||||||||||
ステュアート朝 | |||||||||||
薔薇戦争 | |||||||||||
テューダー朝 | |||||||||||
アイルランド王国 | イングランド王国 | スコットランド王国 | |||||||||
(国名同上) | (国名同上) | (国名同上) | |||||||||
清教徒革命、政教分離 | |||||||||||
イングランド共和国 | |||||||||||
王政復古 | |||||||||||
ステュアート朝(復興) | |||||||||||
アイルランド王国 | イングランド王国 | スコットランド王国 | |||||||||
(国名同上) | 合同法(1707年) | ||||||||||
グレートブリテン王国 | |||||||||||
ハノーヴァー朝 | |||||||||||
(国名同上) | (国名同上) | ||||||||||
合同法(1800年) | |||||||||||
グレートブリテン及びアイルランド連合王国 | |||||||||||
サクス=コバーグ=ゴータ朝、ウィンザー朝 | |||||||||||
(国名同上) | |||||||||||
英愛条約 | |||||||||||
アイルランド自由国 | イギリス | ||||||||||
アイルランド憲法公布による改名 | |||||||||||
アイルランド | |||||||||||
関連項目:イギリスの歴史、ウェールズの歴史 | |||||||||||
グレートブリテン及びアイルランド連合王国(グレートブリテンおよびアイルランドれんごうおうこく、英語: United Kingdom of Great Britain and Ireland)は、1801年にグレートブリテン王国とアイルランド王国が合同して成立した王国である。1922年にアイルランド自由国が樹立され、残りの地域は1927年にグレートブリテンおよび北アイルランド連合王国と改称された。
1801年 - 1820年
イギリスがフランス革命戦争を戦っていた最中の1798年に起きたアイルランド反乱により、アイルランド王国の短期間の独立は終了した。グレートブリテン王国は、独立したアイルランドがフランス革命に味方することを恐れ、アイルランドとの統合を決定した。これは両王国の議会で制定され(合同法)、1801年1月1日に発効した。アイルランド人はイギリスから、立法的な独立を失った分、カトリック解放、つまりイギリスとアイルランドの両国でローマ・カトリック教徒に課せられていた民事障害が取り除かれることで埋め合わせられると信じられていた。しかし、国王ジョージ3世はこのような奴隷解放に猛反対し、政府による奴隷解放の試みは失敗に終わった。
概要
1541年にテューダー朝のイングランド国王ヘンリー8世がアイルランド国王の称号の使用を宣言して、アイルランド王国が成立したとされる。この時は一方的な宣言であったが、以後イングランドによるアイルランドの支配強化が始まる。歴代のイングランド国王(1707年以降はグレートブリテン国王)はアイルランド国王を兼ねたが、実態はイングランドによるアイルランドの征服と植民地化の過程であった。ハノーヴァー朝のグレートブリテン国王ジョージ3世の時代、1798年にフランス革命の影響を受けた愛国主義者たちが、アイルランド共和国建国を目指して反乱を起こした(アイルランド反乱)。この反乱は鎮圧され、1800年にダブリンのアイルランド議会は「1800年合同法」を可決、翌1801年1月1日にグレートブリテン王国との合同とともにアイルランド議会は解散した。
20世紀に入ると、アイルランド独立の動きが激しくなった。1916年4月24日の復活祭に武装蜂起(イースター蜂起)が起こり、いったんは鎮圧されたものの、1918年の総選挙では独立派のシン・フェイン党が勝利し、アイルランド独立戦争(英愛戦争)となった。1921年12月6日に英愛条約が成立、翌1922年12月6日にアイルランド島の南部26県がイギリスの自治領アイルランド自由国として分離した。連合王国は1927年4月12日にグレートブリテン及び北アイルランド連合王国と改称し、これが現在の国号となっている。
国旗
-
グレートブリテン王国時代の国旗
-
2つの旗を合同したユニオン・ジャック。現在も使用されている。
関連項目
グレートブリテン及びアイルランド連合王国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/20 09:26 UTC 版)
「DESERTED ISLAND」の記事における「グレートブリテン及びアイルランド連合王国」の解説
バックスポンサーは貴族。大英帝国の威信をかけ、地形の確定を主な目的とする。パラーメーターや装備などは他国に比べて有利なほか、食料として採取できる「なよたけ」が一度に他国の二倍入手できる(バグの可能性あり)。また、このチームだけは動植物を再発見した際、それぞれの種類によって異なるやり取りが加えられている。無人島を「ニューワイズ島」と名づける。戦艦「ライオンハーティド」で島へ向かう。 リチャード・ギブソン(31) 博物学者。隊長。穏やかな性格の人格者。敬虔なカトリック信者でダーウィンの進化論には評価をしつつ慎重な立場を置く。動物の専門家だがヘビが苦手。 アーサー ギブソンの助手。言動にまだ若さが感じられる純粋な青年。 シン ギブソンに仕えるインド人の召使い。 チャールズ 皮肉屋でクールな医師。イギリス人の中流階級が好む、ブラックユーモアを含んだきつい冗談を言う。昆虫が好きなヘンリーという親友がいる。 バーナード 豪快で人情味のあるハンター。 ラッシュ グレイハウンド犬。
※この「グレートブリテン及びアイルランド連合王国」の解説は、「DESERTED ISLAND」の解説の一部です。
「グレートブリテン及びアイルランド連合王国」を含む「DESERTED ISLAND」の記事については、「DESERTED ISLAND」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
かつてブリテン諸島に存在した国家 |
イングランド王国 南アイルランド グレートブリテン及びアイルランド連合王国 ダルリアダ王国 ノーサンブリア |
- グレートブリテン及びアイルランド連合王国のページへのリンク