ノルマン‐ちょう〔‐テウ〕【ノルマン朝】
ノルマン朝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/07 05:16 UTC 版)
ノルマン朝(ノルマンちょう、英: Norman dynasty)は、中世イングランド王国の王朝。1066年から1154年まで続いた。
概要
1066年、フランス王国の諸侯であったノルマンディー公ギヨーム2世(ウィリアム)がアングロサクソン人王の支配下にあったイングランド王国を征服し、ウィリアム1世として国王に即位したことで成立した。「征服王」(the Conqueror)と呼ばれるウィリアムがノルマン人の後裔だったため、ノルマン王朝と呼ばれる。
征服王朝のため、当初から国王による権力集中が完成していた。ノルマン朝の血筋はその後のイングランド諸王家にも受け継がれている。
ノルマン朝のイングランド国王
ブロワ朝(無政府時代)
ヘンリー1世は早世したウィリアム以外に正嫡の男子がなかったため、その死後にヘンリーの姉アデルの子であるブロワ伯家のエティエンヌがフランスからロンドンに入り、諸侯の支持でイングランド王スティーブンとして即位した。これをブロワ朝と呼ぶが、歴史書によってはノルマン朝の一部として扱われることもある。
- スティーブン(1135年 - 1154年)
ヘンリー1世自身は生前に娘マティルダを後継者に指名しており、マティルダはスティーブンの即位を不当として両者の間で内戦となり、イングランドは無政府時代を迎えた。スティーブンがマティルダの子アンジュー伯アンリを後継者とすることで和平が成立し(ウォーリングフォード協定)、スティーブンの死後にアンリがヘンリー2世として即位してプランタジネット朝が始まった。
系図
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ノルマンディー公家 |
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ウィリアム1世 ノルマンディー公 イングランド王 |
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マティルダ (フランドル伯ボードゥアン5世娘) |
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ロベール2世 ノルマンディー公 |
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ウィリアム2世 イングランド王 |
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アデル |
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エティエンヌ2世 ブロワ伯 |
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ヘンリー1世 イングランド王 ノルマンディー公 |
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ガティネ家 |
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ギヨーム・クリトン フランドル伯 |
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ティボー4世 ブロワ伯 |
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スティーブン イングランド王 ノルマンディー公 |
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マティルダ |
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ジョフロワ4世 アンジュー伯 ノルマンディー公 |
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ブロワ伯家 |
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ヘンリー2世 イングランド王 ノルマンディー公 |
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プランタジネット朝 |
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関連項目
ブリテンの歴史![]() |
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アイルランド | イングランド | スコットランド | |||||||||
先史時代 | |||||||||||
ゲール人 | ブリタンニア | ピクト人 | |||||||||
オニール時代 | 七王国 | ダルリアダ | |||||||||
ノルマン朝イングランド王国 | アルバ王国 | ||||||||||
プランタジネット朝 (国名同上。アンジュー帝国とも) |
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独立戦争 | |||||||||||
百年戦争 | |||||||||||
ステュアート朝 | |||||||||||
薔薇戦争 | |||||||||||
テューダー朝 | |||||||||||
アイルランド王国 | イングランド王国 | スコットランド王国 | |||||||||
(国名同上) | (国名同上) | (国名同上) | |||||||||
清教徒革命、政教分離 | |||||||||||
イングランド共和国 | |||||||||||
王政復古 | |||||||||||
ステュアート朝(復興) | |||||||||||
アイルランド王国 | イングランド王国 | スコットランド王国 | |||||||||
(国名同上) | 合同法(1707年) | ||||||||||
グレートブリテン王国 | |||||||||||
ハノーヴァー朝 | |||||||||||
(国名同上) | (国名同上) | ||||||||||
合同法(1800年) | |||||||||||
グレートブリテン及びアイルランド連合王国 | |||||||||||
サクス=コバーグ=ゴータ朝、ウィンザー朝 | |||||||||||
(国名同上) | |||||||||||
英愛条約 | |||||||||||
アイルランド自由国 | イギリス | ||||||||||
アイルランド憲法公布による改名 | |||||||||||
アイルランド | |||||||||||
関連項目:イギリスの歴史、ウェールズの歴史 | |||||||||||
ノルマン朝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/30 21:10 UTC 版)
11世紀、1066年のヘイスティングズの戦いの後、ウィリアム1世(ノルマンディー公ギヨーム)のいとこで侵攻に携わったシュルーズベリー伯のロジャー・ド・モンゴメリー(英語版)が、1093年、ここに最初の木造の城を築いた。翌1094年にロジャーが亡くなると、5人の息子のうち末子のアーノルフ・ド・モンゴメリー(英語版)が城を引き継いだ。土と木だけで築かれたこのペンブルックの城塞は、ウェールズの攻撃、1094年や1096年の包囲(攻城戦)にも耐えた。その要塞は南西ウェールズのノルマンの支配する地の中心に構築され、アーノルフ・ド・モンゴメリーは、ペンブルックの城代 (castellan) としてジェラルド・ド・ウィンザー(英語版)を任命した。 1100年、ウィリアム2世が急死すると、アーノルフ・ド・モンゴメリーは、1102年、ウィリアム2世の弟で後継者のヘンリー1世に反抗し、兄のロバート・オブ・ベレーム(英語版)に加勢したが、反乱が失敗すると、アーノルフは追放された。ヘンリー1世は城代を指名したが、選ばれた同族者が役に立たないことが分かると、王は1102年のうちにジェラルドを再任した。 1135年にヘンリー1世が亡くなり、1138年には王スティーブンが、ペンブルック城と伯爵の位をギルバート・ド・クレア(英語版)(異名ストロングボウ、‘Strongbow’)に与えて、ペンブルックはノルマン人のアイルランド侵攻の重要な拠点として使用された。
※この「ノルマン朝」の解説は、「ペンブルック城」の解説の一部です。
「ノルマン朝」を含む「ペンブルック城」の記事については、「ペンブルック城」の概要を参照ください。
「ノルマン朝」の例文・使い方・用例・文例
- ノルマン朝という王朝
ノルマン朝と同じ種類の言葉
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