ノルマン式の城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 22:47 UTC 版)
ヘンリー・ド・フェラーズ(英語版)はウィリアム1世への忠勤に大いに励み、現在のダフィールド・フリス(英語版)にあたるダービーシャーの領地を1066年ごろ授けられた。これは後、北はヘッジ(英語版)とショトル(英語版)、南はタットベリー(英語版)まで広がった。彼はタットベリー城(英語版)を建て、主な居城とした。また領地の北側を守るため前哨基地が必要となり、ダフィールドにも城を(おそらくは木造で)建てた。 彼の三男ロバートは、1138年にスコットランドとのスタンダードの戦い(英語版)で手柄を立て、ダービー伯爵に叙位された。 彼の曾孫ウィリアムは1162年に爵位を継いだ。彼はヘンリー2世の息子たちの反乱に加担し、1173年に城は2つとも破壊された。 後を継いだウィリアム2世をジョンは寵愛し、ワークズワース(英語版)、アシュボーン(英語版)の領地と共に伯爵領を復させた。のち、ホースレイにあるホーストン城(英語版)もこれに加えた。いずれかの時点で、タットベリーとダフィールドの城が(今回は石で)再建された。次のウィリアム3世も王室と良好な関係を保った。 次代の7代目にあたるロバートはヘンリー3世に反逆し、タットベリー城は破壊された。ロバートは寛恕を受けたものの、再び反乱を起こしてチェスターフィールドの戦いに敗れ、1269年に領地を没収され、ダフィールド城も破壊された。王子のエドマンドが領地を受け継ぎ、ほどなくランカスター伯爵家を創始した。 城は文字通り、完膚なきまでに破壊された。石の多くは建材として他所へ持ち去られ、跡は次第に草生す地へ変わっていった。城があった名残は「キャッスル・オーチャード」(城の果樹園)という地名が留めている。これは現在、城の土塁の下にある同名の住宅地からヘイゼルウッド通りにかけての一帯で、1885年に再発見された。
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