ノルマン人の南イタリア征服
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「ノルマン・東ローマ戦争」の記事における「ノルマン人の南イタリア征服」の解説
詳細は「ノルマン人による南イタリア征服」を参照 ノルマン人騎士ロベルト・イル・グイスカルドは兄の後を継いでプーリア伯となり、弟のルッジェーロ達と共に、カラブリア、シチリア等の諸都市を征服していった。1066年、コンスタンティノス10世ドゥーカスは大規模な軍をイタリアに派遣し、ターラント等の諸都市をノルマン人の手から取り戻した。しかし東方からやってきたセルジューク朝の侵攻が激しさを増してきたため、バリャーグ親衛隊を主力とする兵力を東方に振り向けざるを得なくなり、イタリアの警備が手薄になった、こうして戦局はノルマン人に優位となり、1071年、ノルマン人は東ローマのイタリア支配の拠点だったバーリを占領した(バーリ包囲戦)。これによって東ローマから南イタリアが永遠に失われた。
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