ノルマン人の侵入
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「アイルランドの歴史」の記事における「ノルマン人の侵入」の解説
12世紀までに、アイルランド島は大小様々な王国によって分割統治されるようになっていた。それらの内の一つレンスター王Diarmait Mac Murchada(英語名Diarmuid MacMorrough)は新たな上王Ruaidri mac Tairrdelbach Ua Conchobair指揮下の連合軍によって自身の王国から追放されていた。彼は王国を取り戻すためにヘンリー2世の許可を得てノルマン人の協力をあおぐことにした。1167年に1人目のノルマン人騎士Richard fitz Godbert de Rocheがアイルランドに上陸し、その後1169年にはウェールズおよびフランドルからのノルマン人主力部隊がウェックスフォードに到着した。彼らの働きによりレンスター王国は復興し、ダブリンとウォーターフォードがレンスター王の支配下に入った。王はノルマン人貴族のリチャード・ド・クレア(ストロングボウ)を養子にすえて自身の後継者としたが、これにはイングランドのヘンリー2世が反発した。アイルランドにイングランドと相対するノルマン人王朝ができることに不安を持ったヘンリーはアイルランド侵攻を決意した。ヘンリーは軍を率いて1171年にウォーターフォードに上陸し、アイルランド島へ上陸した初のイングランド王となった。ヘンリーはウォーターフォードとダブリンを王領都市として宣言し、自身の息子ジョンにアイルランドの支配権Dominus Hiberniae(Lord of Ireland, アイルランド卿)を与えた。ジョンが兄リチャード1世の後を継いでイングランド王位を継承すると、アイルランドもイングランド王国の支配下に入った。
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ノルマン人の侵入
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「東ローマ帝国支配下のギリシャ」の記事における「ノルマン人の侵入」の解説
南イタリアを征服したノルマン人、ロベルト・イル・グイスカルドは東ローマ征服をもくろみ、バルカン半島に侵入した。この遠征は東ローマの抵抗とロベルトの病死によって中止されたが、この後もノルマン人は1148年、1185年にギリシャに侵攻した。特に1185年ではテッサロニキが陥落し、市民は虐殺されるなど大きな被害を受けた。
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