ビザンツ帝国の勢力縮小
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 15:00 UTC 版)
「ギリシャの歴史」の記事における「ビザンツ帝国の勢力縮小」の解説
しかし、この平穏な時代も続かず、ノルマン人の侵入やセルジューク朝の侵入がビザンツ帝国を蝕み始めた。特に、セルジューク朝の登場により、皇帝アレクシオス1世はローマ教皇ウルバヌス2世へ支援を求め、その結果、十字軍が派遣された。しかし、この十字軍の派遣はビザンツ帝国をさらに蝕むことになり、第4回十字軍に至ってはコンスタンティノープルが十字軍に占領されて略奪を受けた上に、その周辺にラテン系諸公国が生まれ、ビザンツ帝国はその勢力を弱めることとなった。 13世紀半ば、コンスタンティノープルの奪還に成功するが、セルジューク朝に代わって台頭してきたオスマン帝国の侵入に悩まされることとなる。1453年、コンスタンティノープルの陥落により、ビザンツ帝国は止めを刺され、ギリシャ人勢力はオスマン帝国の勢力範囲に取り込まれることとなる。
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