ビザンツ帝国の攻勢と689年の条約とは? わかりやすく解説

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ビザンツ帝国の攻勢と689年の条約

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 02:08 UTC 版)

アブドゥルマリク」の記事における「ビザンツ帝国の攻勢と689年の条約」の解説

シリア北方国境沿いでは678年アラブ軍によるコンスタンティノープル対す最初の包囲戦失敗して以降ビザンツ帝国攻勢出ていた。679年には30年にわたる平和条約締結されウマイヤ朝毎年貢納として金貨3,000、馬50頭、奴隷50人を引き渡しビザンツ帝国沿岸地帯占拠していた前進基地からの軍の撤退余儀なくされた。さらに、イスラーム教徒内戦勃発したことでビザンツ皇帝コンスタンティノス4世在位668年 - 685年)はウマイヤ朝領土割譲莫大な貢納を強いることができた。685年皇帝が自ら軍隊率いてキリキアのモプスエスティア(英語版)へ向かい国境越えてシリアに入る準備始めたが、シリアでは既に土着のキリスト教徒集団であるマルダイテス(英語版)が大きな混乱引き起こしていた。これに対しアブドゥルマリク自分立場が不安定であったことから、ビザンツ帝国毎日金貨1,000支払い馬1頭と奴隷1人引き渡すという条約結んだビザンツ帝国ユスティニアノス2世在位685年 - 695年705年 - 711年)の下でより攻撃的な姿勢出たが、9世紀イスラーム教徒歴史家であるバラーズリー英語版)が記しているように、ビザンツ帝国直接攻勢をかけたのか、それともマルダイテスを利用してイスラーム教徒圧力をかけたのかはよくわかっていない。マルダイテスによる略奪行為レバノン山脈ガリラヤ高地南部にまで至るシリア一帯及んだ。これらの襲撃688年ビザンツ帝国短期間アンティオキア奪還したことで最高潮達したイラクにおける失敗ウマイヤ朝弱体化させていた。そして689年結ばれた新し条約ビザンツ帝国にとって非常に有利な内容だった。9世紀ビザンツ帝国年代記作者であるテオファネスによれば、この条約685年貢納義務繰り返すものであったが、同時にビザンツ帝国ウマイヤ朝キプロスアルメニア、およびイベリア英語版)(現代ジョージア一帯共同統治下に置き、これらの地域歳入両国間で分配することになった。そしてビザンツ帝国はこの条件引き換えにマルダイテスを自国領内再定住させることを約束した。その一方で12世紀シリア年代記作者であるシリアミカエル英語版)は、アルメニアアーザルバーイジャーンビザンツ帝国の完全な支配下置かれることになった記している。ビザンツ学者ラルフ=ヨハンネス・リーリエ(英語版によれば、この時点アーザルバーイジャーン実際にウマイヤ朝支配下入っていなかったため、恐らくこの協定アブドゥルマリクビザンツ帝国に対してアーザルバーイジャーンにおけるイブン・アッ=ズバイル派への攻撃全面的に容認したことを意味している。また、この協定双方にとって好都合なのだったアブドゥルマリク対立勢力影響力減らして北方国境地帯守り一方でビザンツ帝国領土獲得して表面的にイスラーム世界内戦勝利したかに見え勢力ウマイヤ朝)の力を削ぐことができた。およそ12,000人のマルダイテスが実際にビザンツ帝国領内再定住したが、多くのマルダイテスは現地残り、これらのマルダイテスはワリード1世在位705年 - 715年)の治世になってようやくウマイヤ朝服従した。マルダイテスの存在ウマイヤ朝補給線混乱させ、ウマイヤ朝はマルダイテスによる襲撃を防ぐために恒常的に軍隊駐留させる必要があった。 このようなビザンツ帝国反攻は、初期イスラーム教徒による征服前に敗れた人々イスラーム勢力に対して初め反撃挑んだことを意味していた。さらにマルダイテスによる襲撃は、それまでほとんど反乱を起こすことのなかったシリア大半キリスト教徒沈黙国家がもはや頼ることができないことアブドゥルマリクその後継者たちに示した現代の歴史家であるハーリド・ヤフヤー・ブランキンシップ(英語版)は、689年条約を「厄介な負担であり完全に屈辱的な条約」と表現しアブドゥルマリク戦争時軍資金加えて例年貢納金の支払いも可能であった理由は、かつてのスフヤーン家のカリフによる軍事行動の間に獲得した国庫資金エジプトからの歳入に頼ることができたからではないか推測している。

※この「ビザンツ帝国の攻勢と689年の条約」の解説は、「アブドゥルマリク」の解説の一部です。
「ビザンツ帝国の攻勢と689年の条約」を含む「アブドゥルマリク」の記事については、「アブドゥルマリク」の概要を参照ください。

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