ノルマン人の南イタリア到来、999年–1017年とは? わかりやすく解説

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ノルマン人の南イタリア到来、999年–1017年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/12 23:35 UTC 版)

ノルマン人による南イタリア征服」の記事における「ノルマン人の南イタリア到来、999年–1017年」の解説

ノルマン人南イタリア訪れようになった年代明らかでないが、10世紀末よりヨーロッパで聖地巡礼盛んになり、ノルマン人の間でもエルサレムイタリアのモンテ・ガルガーノ(イタリア語版)に詣でる者がいたと想定される南イタリアでのノルマン人働きに関して後の年代記記録された最も古い事例は、1010年代までに起こったであろう二つの出来事である(後述サレルノ伝承とガルガーノ伝承)。それらのエピソードから窺知されるのは、地中海地方傭兵募集があるという話が巡礼者通じて広まり、これがノルマン人戦士南イタリア向かわせるきっかけ一つとなったということである。 いくつかの史料によれば999年頃、聖地エルサレムからプッリャ経由帰還途次にあったノルマン人巡礼者一団サレルノ立ち寄りサレルノ公(侯)グアイマーリオ3世イタリア語版)の許に逗留したという。折しもサレルノの町とその周辺地域は、遅延している年一回貢納支払い要求するサラセン人攻撃受けていた。グアイマーリオ3世貢納金を集めよう仕掛けたが、その間ノルマン人たちは公とそのランゴバルド人臣民たちの弱腰を難じ、直ち包囲するサラセン軍を襲撃した。これによりサラセン人敗走し多く戦利品得られた。これに感謝したグアイマーリオなる者、宴を開いてノルマン人たちを歓待し、かれらにこの地に残って働いてくれるよう懇願するノルマン人はこれを断ったものの、グアイマーリオ3世からの豪華な贈り物ノルマンディーにいる同胞送りサレルノで兵として働けば褒賞得られるかもしれないという話を同胞広めることを請け合ったいくつかの史料では、それだけでなく、グアイマーリオ3世戦士獲得するためにノルマンディー使者派遣したとまで伝える。ノルマン人到来に関するこの話は「サレルノ伝承」と呼ばれることがある。 この「サレルノ伝承」が初め記録されたのは、1071年から1086年までの間にモンテカッシーノアマートイタリア語版)によって執筆された『ノルマン人歴史』 である。12世紀初頭にレオーネ・オスティエンセ(イタリア語版)によって執筆された『モンテ・カッシーノ年代記』の、助祭ピエールフランス語版の手による続編では、「サレルノ伝承に関する情報のほとんどがアマート著作から借用されている。17世紀カエサル・バロニウス著作である教会年代記英語版)を発端として、サレルノ伝承歴史として認められるようになったサレルノ伝承正確に事実伝えているか否かという問題は、その後の何世紀にも亘って時折呈されてきた疑問であったが、以降のほとんどの学者は、この伝承に何らかの修正加えた形で史実として承認するようになっているイタリアで最初ノルマン人到来に関するもう一つ歴史上の記録も、それまでノルマン人存在には一切ふれることなく主要な年代記中に記されている。この話は「ガルガーノ伝承」と呼ばれている。モンテ・ガルガーノ(モンテ・サンタンジェロのサン・ミケーレの聖域イタリア語版))に向かうノルマン人巡礼者一行は、そこでランゴバルド貴族であるバーリメロイタリア語版)と出会いアプーリアビザンツ総督攻撃に加わるよう説得されている。これは1016年のことである。 「サレルノ伝承」と同様、ガルガーノ物語について2つ一次史料がある。一つ1088年から1110年にかけてプッリャグリエルモイタリア語版)によって記された『ロベルト・ヴィスカルディ武勲詩』であり、もう一つはこれより一世紀後にアレッサンドロという名の修道士グリエルモ著作を基に執筆した『聖バルトロマイ・デ・カルピネート修道院年代記』である。サレルノとガルガーノ物語とを結びつけて考え学者もおり、ジョン・ジュリアス・ノーウィッチ(英語版)はバーリメロノルマン人との邂逅の話はそれ以前にグアイマーリオによってお膳立てされたものだったではないかとさえ仮定している。バーリメロは、東ローマ帝国領から追放されてからモンテ・ガルガーノを訪れるまでの間に、サレルノ滞在していたことがあったとされているのであるそれ以外には、自ら進んで亡命してきたドレンゴト家(イタリア語版出身兄弟からなるグループの話が含まれる。その兄弟一人であるオスモンド(フランス語版)(オーデリック・ヴァイタリスによる)ないしジルベールアマート助祭ピエールによる)が、ノルマンディー公ロベール1世統治時代にギョーム・レポステルなる人物殺害した伝えられるところでは、レポステルはジルベールの娘を辱めたことを吹聴したことにより殺害されたという。レポステル殺害によって安全が脅かされることとなったドレンゴト兄弟は、一族引き連れて祖国脱出してローマ逃れているが、兄弟一人バーリメロ合流する前にローマ教皇謁見している。アマート一連の物語1027年以降こととしているが、教皇謁見したことに関する記述はない。アマートによるとジルベール兄弟にはオスモンド、ライヌルフ(イタリア語版)、アスクレティン(フランス語版)およびルドルフ英語版)(ピエールによればLudolfusではなくRudolfus)がいた。 レポステルの殺害に関しては、ロベール1世統治下すなわち1027年以降こととされている点ですべての年代記一致しているものの、ロベールという記述間違いであり、本来はリシャール、すなわち1017年に公であったリシャール2世のことではないか信じる者もいる。第一次ノルマン人移住がドレンゴト家とレポステルの殺害何らかの関係があると仮定するならば、その年代はもっと古いものに書き換えねばならない。ラウル・グラベール(フランス語版)による『歴史』は、「ルドルフス」なる人物リシャール伯(すなわちリシャール2世)の不興買った末にノルマンディー去ったとする。兄弟の中で指導者として南イタリア赴いた者の名は資料によって異なる。オーデリックおよびジュミエージュのギヨーム英語版)の著作ノルマンディー公武勲詩英語版)』はオスモンドとし、グラベールはルドルフとする。レオーネアマートおよびシャバンヌアデマールフランス語版)はジルベールとする。南イタリア資料大半は、1018年カンネーの戦いイタリア語版)でノルマン軍団指揮したのはジルベールであったとする。 仮にこのルドルフアマート歴史出てくるドレンゴト家のルドルフ同一人物であったとするならば、ルドルフカンネーの戦い指揮官であったということになる。 ノルマン人メッツォジョールノへの到来についてのもう一つ仮説 - 近代仮説 - は、グラベール、アデマールおよびレオーネピエールによる続編非ず)の年代記に関するのである。この3つの年代記はすべて、リシャール2世怒りから逃れたルドルフ率いられ40もしくはそれより大幅に多い約250名のノルマン人ローマ教皇ベネディクトゥス8世のもとに赴いた述べている。当時教皇は自らが宗主権有するベネヴェント東ローマ侵略受けて憤激していたことから、東ローマ対抗する傭兵募集しているサレルノないしカープアに彼らを向かわせた。同地にてノルマン人たちはベネヴェント指導者であるベネヴェント公ランドルフォ5世英語版)とカープア公ランドルフォ4世イタリア語版)に会ったが、前述サレルノ侯グアイマーリオ3世バーリメロ会った可能性もある。レオーネ年代記を基にするとルドルフは、トスニのラルフ同一人物であると推定される1017年5月での対東ローマ戦においてバーリメロ雇われ傭兵たちを、南イタリアノルマン人軍事活動初め確認され事例含めるとするならば、そのノルマン人たちは1月から4月の間にノルマンディー発ったことになる。

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