傭兵たちとは? わかりやすく解説

傭兵たち

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 15:14 UTC 版)

アラトリステ」の記事における「傭兵たち」の解説

ディエゴ・アラトリステ・イ・テノーリオ 本シリーズ主人公である。1620年代後半マドリード最強剣客であったとされる人物イニゴ・バルボア 本シリーズ語り手である。1609年頃、バスク地方にあるオニャティ近郊生まれたとされる。父ロペ・バルボアはアラトリステ戦友であった八十年戦争戦死その際アラトリステにイニゴの養育依頼したことから、アラトリステ引き取られ従者となる。1624年アラトリステとともにネーデルラント渡りブレダ攻城戦参加その後、父やアラトリステ同じく傭兵となる。一時期アンヘリカ・アルケサル恋人同士であった1644年アラトリステとともにロクロワの戦い参加。この戦い生き延びた後、近衛連隊士官平民出身としては大出世)となる。 セバスティアン・コポンス アラゴン王国ウエスカ近郊にあるシージャス・デ・アンソという生まれた古参兵。アラトリステとは篤い信頼関係結ばれており、ブレダ攻城戦をはじめニクラースベルヘン号事件など数多く戦場においてアラトリステ傍ら戦ったアラトリステ以上に寡黙で、愚直なまでに任務忠実な人物アラトリステよりも年上で、1625年の夏(ニクラースベルヘン号事件)に50であった。 ニクラースベルヘン号事件一財産を手に入れて故郷向かったが、道中トラブル巻き込まれ無一文となり、セビリア乱闘事件起こして裁判かけられオラン駐留部隊1年間加わることを命じられた。1627年夏、ガレー船ムラタ搭乗してオラン寄港したアラトリステらと再会アラトリステとイニゴが全財産をはたいてコポンスのオラン駐留部隊除隊実現させた。コポンスはそのままムラタ搭乗しアラトリステらと行動をともにした。 アイシャ・ベン・グリアト(Aixa Ben Gurriat) 通称モーロ人のグリアト(El Moro Gurriato)」。1627年オランアラトリステ一行加わった傭兵1634年ネルトリンゲンの戦い戦死するまでアラトリステ付き従ったゴート族北アフリカにいた時代から続くキリスト教徒のベニ・バラニ族出身で、母親カディス誘拐されスペイン人アラトリステ知り合った時点では30歳前後であった。ベニ・バラニ族がキリスト教徒祖先を持つことの象徴として、左頬に青い十字刺青入れている。

※この「傭兵たち」の解説は、「アラトリステ」の解説の一部です。
「傭兵たち」を含む「アラトリステ」の記事については、「アラトリステ」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「傭兵たち」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「傭兵たち」の関連用語

傭兵たちのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



傭兵たちのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのアラトリステ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS