ノルマントン号事件の査問会および予審
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:53 UTC 版)
「神戸外国人居留地」の記事における「ノルマントン号事件の査問会および予審」の解説
1886年(明治19年)に起こったノルマントン号事件に関する査問会および予審は、神戸外国人居留地において領事裁判権が行使された有名な事件の一つに挙げられる。10月24日、横浜居留地の汽船会社が所有する貨物船ノルマントン号が和歌山県沖で沈没し、貨物と共に輸送していた日本人の乗客25名全員が死亡する事件が起こった。この事件では11名のイギリス人乗組員が救命ボートに乗って助かったにもかかわらず日本人の乗客が全員死亡したことについて、船長をはじめとする乗組員が救助を怠ったのではないかという疑念が向けられた。安政五カ国条約によってイギリスに認められていた領事裁判権に基づき、事件に関する査問会が11月1日から5日にかけて神戸外国人居留地で行われ、イギリス領事ジェームス・トループは乗組員に過失なしとする判断を下した。この判断を不服とした兵庫県知事内海忠勝は船長を殺人罪で告訴し、告訴を受けて11月20日に同じく神戸外国人居留地で行われた予審と12月8日に横浜で行われた公判ではともに船長に対し有罪判決が下された。ノルマントン号事件の査問会で乗組員に過失なしと判断されたことで、日本国内では領事裁判権に対する疑問や批判が巻き起こり、反英感情が高まった。この査問会は、日本人と外国人との関係がうまくいっていたとされる神戸外国人居留地の歴史における「影の部分」と評される。
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