カール大帝後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/10 09:01 UTC 版)
「カロリング朝ルネサンス」の記事における「カール大帝後」の解説
カール大帝の後も文化振興は継続され、西フランク王国のシャルル2世(西フランク王840年-877年、西ローマ皇帝875年-877年)までに大成された。ギリシャ語文献のラテン語訳などで活躍したエリウゲナ、天文学者のディクイル、歴史家のヒンクマールなどがよく知られている。この頃になると、文化活動は王宮のみでなく各地の修道院に広まっていった。各地の修道院でラテン語文献の筆写が行われ、その過程で文字を統一する必要からカロリング小字体が作成された。だが、その後はノルマン人の侵入にともなう混乱などにより文化活動は停滞期に入った。
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