カール大帝の治世(768年 – 814年)
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「カロリング帝国」の記事における「カール大帝の治世(768年 – 814年)」の解説
カール大帝の時代、カロリング帝国は西ヨーロッパのほぼ全土を覆っていた。その領土はかつてのローマ帝国を思わせるが、ローマ帝国が9年のトイトブルク森の戦いでの惨敗以降ほとんどライン川以東へ進出しなかったのに対し、カール大帝はザクセン人など反抗するゲルマン人をうち破って国土をエルベ川まで広げ、その影響力は東ヨーロッパ平原まで及んだ。 カール大帝の治世の大半は彼自身が率いる遠征に費やされた。774年にランゴバルド王国を滅ぼし、778年にイベリア半島へ出兵したがこれは失敗した。788年にはバイエルンを征服した。795年には息子のピピンに対アヴァール遠征を命じ、804年には772年から続いたザクセン戦争を終結させ現在のドイツ北部まで領域を広げた。 カール大帝が死去する以前から、カロリング帝国は彼の数人の息子によって分割されることとなっていた。小カールはネウストリア王、ルートヴィヒ(1世)はアクィタニア王、ピピンはイタリア王となった。しかしピピンは810年に死去し、811年には小カールも嗣子なく没した。ピピンが死去した後にはカール大帝の側近アーダルハルトがイタリアを統治したが、813年になるとピピンの庶子ベルナルドへイタリア王位が与えられた。カール大帝の息子で唯一生き残ったルートヴィヒ1世は813年に共同皇帝となり、814年の冬にカール大帝が没すると全帝国をルートヴィヒ1世が継承した。
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