自由七科(リベラルアーツ)の発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/10 09:01 UTC 版)
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詳細は「トリウィウム」を参照 マルティアヌス・ミンネウス・フェリクス・カペッラの『De nuptiis Philologiae et Mercurii』(「哲学と水星の結婚について」)には文法学、論理学、修辞学を表す三学(トリウィウム)が暗示されているが、三学(トリウィウム)の用語が使われるようになったのは、カロリング朝ルネサンス期に、それまでの幾何学、算術、天文学、音楽を示す四科(クワドリウィウム)を模倣して作られてからである。 カール大帝の治世でカロリング朝ルネサンスの代表的聖職者として教会改革を推進したオルレアン司教テオドルフが所有していた別荘には、自由七科、マッパ・ムンディなどのフレスコ画が描かれていたとされる。
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