カール大帝の出兵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/06 20:40 UTC 版)
「ロンスヴォーの戦い」の記事における「カール大帝の出兵」の解説
キリスト教圏拡大の好機と見たカール大帝はイベリア出兵を決定する。アル・アラビーはサラゴサの早期開城を約束した。カール大帝は集められるだけの軍を率いて、778年にピレネー山脈を越えた。カール自身はネウストリア兵を率いてヴァスコニア(ガスコーニュ)から西ピレネーを、アウストラシア兵、ランゴバルド兵、ブルグント兵は東ピレネーを通ってカタロニアへ向かった。バルセロナやジローナでアル・アラビーから歓迎されたフランク軍は、アル・アラビー率いるアッバース軍も陣に加えてサラゴサに向かい、都市を包囲した。 一方、コルドバのアブド・アッラフマーン1世は、サラゴサがフランク人の手に落ちるのを防ぐために、信頼する武将イブン・オベイドを派遣した。サラゴサの守将フサインはオベイドとたびたび争い、ついにはこれを破って捕虜にした。後ウマイヤ朝の武将を捕虜にし、サラゴサの防衛力が増強されたフサインはここで変心し、フランクへの降伏を突然拒否した。サラゴサを囲むカールに対し、フサインは捕虜にしたオベイドや黄金を贈ることで懐柔しようとしたが、カール大帝は満足せずフランク軍中のアル・アラビーを拘束した。フランク軍によるサラゴサ包囲が長引き1カ月以上が過ぎると、バグダードを発ったアッバース朝軍がバルセロナ付近まで到達した。ついにフランク軍はサラゴサに籠もるフサインと休戦協定を結び、サラゴサ側が莫大な黄金をカール大帝に支払う代わりに、フランク軍は包囲を解いた。
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