1541年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/06 03:52 UTC 版)
千年紀: | 2千年紀 |
---|---|
世紀: | 15世紀 - 16世紀 - 17世紀 |
十年紀: | 1520年代 1530年代 1540年代 1550年代 1560年代 |
年: | 1538年 1539年 1540年 1541年 1542年 1543年 1544年 |
1541年(1541 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
他の紀年法
カレンダー
できごと
- 2月12日 - チリのサンティアゴが建都[要出典]。
- 4月7日 - フランシスコ・ザビエル、ポルトガル国王の援助を得てリスボンを出帆し東洋へ向かう旅に出る。
- 5月8日 - スペイン人探検家エルナンド・デ・ソトがヨーロッパ人で初めてミシシッピ川に到達。
- 6月26日 - フランシスコ・ピサロが暗殺される。
- イングランド王ヘンリー8世がアイルランド王を自称し、これをもってアイルランド王国成立。
- ニコロ・フォンタナ・タルタリアが、三次方程式の解法を発見。
- 聖女ディンプナ教会の塔が着工。
- ゲラルドゥス・メルカトルが地球儀を作る。
- システィーナ礼拝堂の壁画「最後の審判」が完成。
- カルヴァンがジュネーヴで宗教改革に着手。
- イエズス会初代総長にイグナチオ・ロヨラを選出。
- チリがスペインの植民地となる。
- ジャック・カルティエ第3回探検行。
日本
- 7月7日(天文10年6月14日) - 武田晴信、父信虎を駿河に追放し家督を相続[1]。
- 武田八幡宮竣工。
- ポルトガル船が豊後国に漂着し、領主の大友宗麟にカボチャの種が贈られる[2]。
- 吉田郡山城の戦いで尼子軍が敗北し安芸から撤退。
- 大内氏が厳島神主家藤原氏を滅ぼす。
- 佐東銀山城の戦いにより安芸武田氏が滅亡。
誕生
- 2月10日(天文10年1月15日) - 足利義氏[3]、古河公方(+ 1583年)
- 2月10日(天文10年1月15日) - 長谷川角行、富士講の開祖 (+ 1646年)
- 7月20日 - ピエール・ド・ラリヴェ、フランスの劇作家、翻訳家(+ 1619年)
- 10月4日(天文10年9月15日) - 千葉親胤、戦国大名(+ 1557年)
- 穴山信君、武将、甲斐武田氏の親族(+ 1582年)
- 植村家存、徳川氏家臣(+ 1577年)
- エル・グレコ、スペインの画家(+ 1614年)
- 奥村永福、前田氏家臣(+ 1624年)
- 吉良親貞、長宗我部元親の弟(+ 1576年)
- ピエール・シャロン、フランスの聖職者(+ 1603年)
- 水野忠重、徳川氏家臣(+ 1600年)
死去
- 1月6日 - ベルナールト・ファン・オルレイ、フランドルの画家(* 1487年から1491年)
- 2月8日(天文10年1月13日) - 尼子久幸、戦国武将(* 生年不詳)
- 6月26日 - フランシスコ・ピサロ、コンキスタドール(* 1471年あるいは1478年)
- 7月4日 - ペドロ・デ・アルバラード、コンキスタドール(* 1485年)
- 8月10日(天文10年7月19日) - 北條氏綱、戦国大名(1486年)
- 9月24日 - パラケルスス、錬金術師、医師、自然哲学者(* 1493年)
- 10月18日 - マーガレット・テューダー、スコットランド王ジェームズ4世の妃(* 1489年)
- 11月23日(天文10年11月6日) - 一条房冬、戦国大名(* 1498年)
- 11月30日(天文10年11月13日) - 尼子経久、戦国大名(* 1458年)
- 王艮、明の思想家(* 1483年)
- 観世長俊、戦国時代の猿楽師(* 1488年?)
脚注
注釈
出典
- ^ “【戦国こぼれ話】武田信玄の父・信虎は、なぜ甲斐から追放されたのか。その驚愕すべき真相とは”. Yahoo!ニュース (2021年11月20日). 2023年2月4日閲覧。
- ^ “大友宗麟とカボチャ渡来について。”. 2007年7月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月15日閲覧。
- ^ 市村高男『朝日日本歴史人物事典』朝日新聞社、1994年。
関連項目
1541年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 06:08 UTC 版)
詳細は「1541年」を参照 カルヴァン、ジュネーヴにて宗教改革を唱える。
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