グレートブリテン及びアイルランド連合王国の成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 14:29 UTC 版)
「イギリスの歴史」の記事における「グレートブリテン及びアイルランド連合王国の成立」の解説
アイルランドは中世以来、イングランドがしばしば征服し、植民を行ってきたが、アイルランドのケルト系住民は文化的、宗教的にイングランドに同化されることはなかった。イングランドはイングランド系住民のアイルランドでの優位性を保つために、カトリック刑罰法(英語版)を制定して、在地アイルランド人と支持層であるイングランド人の差別化を図った。カトリック系のアイルランド人は16世紀のジャコバイト反乱を通じてカトリックに理解を示すジャコバイトに加担することでアイルランドの地位向上を図ったが、これは結果としてイングランドのアイルランド支配の強化に繋がった。 18世紀にアメリカ独立戦争が起こるとイギリスは北米対策に翻弄され、アイルランド対策に隙が生まれることになり、この間アイルランド議会の地位は著しく向上した。続くフランス革命では、これに呼応することによってアイルランドの地位を向上させようとする政治運動が活発になった。これに危機感を持ったイギリスは、カトリック解放とバーターで1800年の合同法を成立させ、アイルランド議会をウェストミンスター議会に併合させることにした。これがグレートブリテン及びアイルランド連合王国の成立である。 本来ウェストミンスター議会との併合とバーターであったはずのカトリック解放が実現するのは、1829年のカトリック解放令(英語版)の成立を待たなければならなかった。また、アイルランドの爵位を持っている場合でも、他の地域における爵位を併せ持たない場合は上院に議席を認められないなど、他の地域と比べ低い扱いを受けていた。
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