ろうどうかち‐せつ〔ラウドウカチ‐〕【労働価値説】
労働価値説
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労働価値説(ろうどうかちせつ、labour theory of value)とは、人間の労働が価値を生み、労働が商品の価値を決めるという理論。アダム・スミス、デヴィッド・リカードを中心とする古典派経済学の基本理論として発展し、カール・マルクスに受け継がれた。労働価値論とも言われる。
- ^ カール・マルクス『経済学批判』、大月書店〈国民文庫〉、1966年、58-59ページ
- ^ ウィリアム・ペティ『租税貢納論』、大内兵衛・松川七郎訳、岩波書店〈岩波文庫〉、1952年、89-90ページ
- ^ ウィリアム・ペティ『租税貢納論』、大内兵衛・松川七郎訳、岩波書店〈岩波文庫〉、1952年、79ページ
- ^ アダム・スミス『国富論』大河内一男監訳、中央公論社〈中公文庫〉、1978年、53ページ
- ^ リカードウ『経済学および課税の原理』、羽鳥卓也・吉澤芳樹訳、岩波書店〈岩波文庫〉、1987年、20-21ページ
- ^ アダム・スミス『国富論』大河内一男監訳、中央公論社〈中公文庫〉、1978年、52ページ
- ^ アダム・スミス『国富論』大河内一男監訳、中央公論社〈中公文庫〉、1978年、52ページ
- ^ アダム・スミス『国富論』大河内一男監訳、中央公論社〈中公文庫〉、1978年、第1編第6章
- ^ リカードウ『経済学および課税の原理』、羽鳥卓也・吉澤芳樹訳、岩波書店〈岩波文庫〉、第1章第1節
- ^ リカードウ『経済学および課税の原理』、羽鳥卓也・吉澤芳樹訳、岩波書店〈岩波文庫〉、第1章第2節
- ^ リカードウ『経済学および課税の原理』、羽鳥卓也・吉澤芳樹訳、岩波書店〈岩波文庫〉、第1章第4節
- ^ カール・マルクス『賃金、価格、利潤』、土屋保男訳、大月書店〈国民文庫〉、1965年
- ^ カール・マルクス『資本論(1)』、岡崎次郎訳、大月書店〈国民文庫〉、1972年、第1部第5-6章
- ^ カール・マルクス『資本論(6)』、岡崎次郎訳、大月書店〈国民文庫〉、1972年、第3部第9章
- ^ ベーム=バーヴェルク『マルクス体系の終結』、木本幸造訳、未來社、1969年
- ^ カール・マルクス『資本論(8)』、岡崎次郎訳、大月書店〈国民文庫〉、1972年、第3部第45章
- 1 労働価値説とは
- 2 労働価値説の概要
- 3 マルクスの剰余価値説
- 4 限界革命
労働価値説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/01 13:58 UTC 版)
詳細は「労働価値説」を参照 人間の労働が価値を生み、その労働が商品の価値を決めるという説。アダム・スミスやデヴィッド・リカードを中心とする古典派経済学で考えられ、カール・マルクスに受け継がれた。
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労働価値説
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マルクスによれば、商品は二つの価値、すなわち消費することによって直接人間の役に立つ(消費者の精神的・肉体的欲求を満たす)という意味での使用価値 (use-value)、(つまり有用性)他の商品と交換可能であるという意味での、交換可能な他の商品との量的比率で表される交換価値 (exchange-value) を持つ。なお、貨幣(money)の一定量として表現された交換価値が価格 (price) である(貨幣については後述する)。この交換価値または価格の本質が、価値である。 商品生産社会においては、(存在する場合には貨幣媒介として)二つの商品が交換される際には、等価交換が原則となる。すなわち、人々は交換される二つの商品が等しい価値となるよう意識し、これが商品交換を規制する。したがって、価値とは、商品生産社会に必然的に発生する社会的観念である。 では、二商品が等価であるとは、何を基準として測られるのか。言い換えれば、価値の実体は何か。それは商品の生産に費やした労働の量、しかも、使用価値を生産するための労働の具体性を捨象した、単なる人間の労働力の支出としての抽象的人間労働の量である。この量は、客観的にその商品を生産するのに社会的平均的に必要な労働時間によって測られる。マルクス経済学は、商品の価値は、商品生産に必要な労働量によって客観的に決まるとする労働価値説を古典派経済学から継承している。 商品の価値は、物としての商品にあらかじめ備わる属性ではない。物としての商品に価値があらかじめ備わっているという考えが、マルクスが批判した商品の物神性である。マルクス経済学で扱う価値とは、物が商品として社会的に取り扱われたときに、社会から受け取る属性である。例えば、ここにトマトがあり、これが商品として300円で販売されれば、それは300円分の交換価値をもつ商品であると証明される。しかし、同じトマトが自家生産されて自分の家の食卓に消費対象として並んでいれば、本人の自己満足としての使用価値しか生ぜず、それは商品でもなく、従って経済的価値(交換価値)をもたない。さらにいえば、300円でトマトは買えても、トマトで300円は買えない。この理由として、マルクスは、300円の価値のない物を300円で販売しているからであり、この差を搾取としている。その比を剰余価値率という。この理屈から、旧ソ連では憲法で「あらゆる形態における搾取の禁止」を謳っていた。 また、マルクス経済学では、価値=貨幣ではない。発展した商品生産社会では、すべての商品の価値は貨幣の一定量によって表現されるが、このことは価値=貨幣を意味しない。たしかに、貨幣はいかなる商品とも交換可能であり、すべての商品の価値を表現できる一般的等価物である。ここから、貨幣そのものが価値である、とする観念が生まれる(貨幣の物神性)。 マルクスによる貨幣の説明は、こうである。すなわち、どの商品も、自分の価値を単独で表現することはできず、等価関係におかれた他の商品の使用価値量でしか表現できない。そして、ある商品の使用価値量でもって、他のすべての商品の価値を表現するとき、この特殊な役割の商品が貨幣となり、貨幣の役割をする商品には、他のすべての商品との交換可能性が与えられる。したがって、貨幣とは、社会の諸商品の価値を統一的に表現するために、ある商品に与えられた一般的等価物としての役割である。歴史的には、金 (gold) が貨幣の役割を担ってきた。貨幣に一般的等価物の役割を与えて、貨幣の使用価値量(金ならばその重量)でもって、他のすべての商品の価値を表現させ、価格表現を可能にさせるのは、商品生産社会である。したがって、貨幣も社会的産物である。 マルクス経済学における商品の価値とは、商品生産社会で必然的に発生する社会的観念である。等価交換の基準となる価値という社会的観念の存在は、商品の生産に必要な労働量によって、商品の交換価値または価格の変動が規制されることを意味する。これが価値法則である。貨幣商品の使用価値の一定量として、商品の価格として表現されるところの価値、直接には目に見えず価格として現象しながらも、価格の変動を規制する法則としての価値、これがマルクス経済学における価値である。 このように、マルクス経済学では、近代経済学と違い、価値と価格を厳密に区別し、価値から貨幣と価格を説明する。
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