イタリア統一運動とは?

イタリア統一運動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/08 06:16 UTC 版)

イタリア統一運動(イタリアとういつうんどう、イタリア語:Risorgimento リソルジメント[1])は、19世紀1815年1871年)に起こったイタリア統一を目的とした政治的・社会的運動である。




注釈

  1. ^ ヴェネツィア共和国ジェノヴァ共和国、ルッカ共和国は再興されなかった。森田(1976),p.40.
  2. ^ 教皇国家の北部5県を管轄する地方行政区。各県の首長には教皇特使英語版(レガート:Legato)が任命された。北原他(2008),p.365;ロメーオ(1992),p.512.
  3. ^ 1848年の「ミラノの5日間」では穏健派の主張するミラノのサルデーニャへの併合に反対し、共和国の樹立を目指して民主派の指導者となった。カルロ・カッターネオの思想については右を参照。黒須(1997),pp.175-241.
  4. ^ 教皇ピウス9世は義勇軍が国境を越えることを禁じていたが、総司令官ドゥランドの独断により参戦した。北原他(1999),p.232.
  5. ^ ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世は憲法を破棄したがったが、オーストリアの勧めにより維持した。ダガン(2005),p.171.
  6. ^ カヴールはナポレオン3世の元に愛人としてカスティリオーネ伯爵夫人を送り込み、イタリア政策に影響を与えようとしている。鹿島(2010),pp.428-430.
  7. ^ カヴールはイタリア統一は非現実的であると考えていた。ダガン(2005),p.174.
  8. ^ フェルディナンド2世が反乱鎮圧のために自国の都市を砲撃させたためにつけられたあだ名。ロメーオ(1992),p.516;森田(1976),p.191;ガロ(2001),p.295.
  9. ^ 統一後の議会でガリバルディはカヴールを激しく非難する演説を行っている。ガロ(2001),pp.347-356.
  10. ^ ガリバルディは旧両シチリア王国の1年間の統治を自分に任せるよう提案したが、拒絶されている。北原他(2008),p.406
  11. ^ フランスの作家マルセル・プルーストはマリーア・ソフィアを「ガエータの城壁の戦士王妃」と呼んだ。
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  12. ^ サルデーニャ王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世はイタリア王を称したが、彼の意向により名を変えず「2世」のままとした。北原他(2008),p409.
  13. ^ 原文:«L'Italia è fatta, tutto è a posto.»Holt(1971),p.258.
  14. ^ フランスではフランス革命以来の自由と民主主義が教皇不可謬説によって否定されることに反発が起こっており、ナポレオン3世は公会議で不可謬説が可決されればローマから撤兵すると宣言していた。ルイス(2010),pp.251-252.
  15. ^ 後にピア通り(Via Pia)は「9月20日通り」(Via Venti Settembre)と改名される。
  16. ^ 原文:«Il mio compito è più complesso e faticoso che in passato. Fare l'Italia, fondere assieme gli elementi che la compongono, accordare Nord e Sud, tutto questo presenta le stesse difficoltà di una guerra con l'Austria e la lotta con Roma»,Vottari(2004),p.31.
  17. ^ 1871年時点で男性の61.9%、女性の95.7%が非識字層だった。ガロ(2001),p.537.
  18. ^ イタリアの参戦運動は右派のみならず、穏健派から極左にまで及んで存在しており、左派参戦主義者にはベニート・ムッソリーニもいた。森田&重岡(1977),pp.183-184,198-202.
  19. ^ 地図には未表示。

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