カターニア【Catania】
読み方:かたーにあ
イタリア南部、シチリア島、シチリア自治州の都市。同島の東岸、エトナ山の麓に位置する。古代ギリシャ、ローマの植民都市が置かれ、11世紀にノルマン人の支配下になった。エトナ山の噴火(紀元前2世紀、17世紀)、大地震(12世紀、17世紀)などにより大きな被害を受けた。古代ローマ時代の円形劇場、円形闘技場、浴場などの遺跡があるほか、17世紀以降の復興により建てられたバロック様式の建物が多い。同島南東部の八つの町が2002年に「バル‐ディ‐ノートの後期バロック様式の町々」の名称で世界遺産(文化遺産)に登録された。作曲家ビンチェンツォ=ベッリーニ、小説家・劇作家ジョバンニ=ベルガの生地。
カターニア
カターニア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/02 22:55 UTC 版)
カターニア Catania |
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行政 | |||||
国 | ![]() |
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州 | ![]() |
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県/大都市 | ![]() |
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CAP(郵便番号) | 95100 | ||||
市外局番 | 095 | ||||
ISTATコード | 087015 | ||||
識別コード | C351 | ||||
分離集落 | #分離集落参照 | ||||
隣接コムーネ | #隣接コムーネ参照 | ||||
地震分類 | zona 2 (sismicità media) | ||||
気候分類 | zona B, 833 GG | ||||
公式サイト | リンク | ||||
人口 | |||||
人口 | 298,592 [1] 人 (2023-01-31) | ||||
人口密度 | 1,722.6 人/km2 | ||||
文化 | |||||
住民の呼称 | catanesi | ||||
守護聖人 | 聖アガタ (sant'Agata) |
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祝祭日 | 2月5日 | ||||
地理 | |||||
座標 | 北緯37度30分09.61秒 東経15度05分14.17秒 / 北緯37.5026694度 東経15.0872694度座標: 北緯37度30分09.61秒 東経15度05分14.17秒 / 北緯37.5026694度 東経15.0872694度 | ||||
標高 | 7 (0 - 380) [2] m | ||||
面積 | 180.88 [3] km2 | ||||
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カターニア県におけるコムーネの領域
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カターニア(イタリア語: Catania ( 音声ファイル))は、イタリア共和国のシチリア島東部にある都市で、その周辺地域を含む人口約30万人の基礎自治体(コムーネ)。カターニア県の県都である。
イオニア海に面した都市で、北方にはエトナ山が聳える。シチリア島ではパレルモに次いで2番目に大きな都市である[4]。
名称
Catania は、[kaˈtanja] [5]と発音される。日本語文献では「カターニア」のほか、「カターニャ」「カタニア」などとも表記される。
地理
位置・広がり
カターニア県東部のコムーネである。カターニアの市街は、シラクサから北北西へ51km、エンナから東へ72km、メッシーナから南南西へ87km、州都パレルモから東南東へ166kmの距離にある[6]。
都市の北方には活火山のエトナ山が聳える(エトナ山頂はカターニアの北北西28kmに位置する[6])。
隣接コムーネ
隣接するコムーネは以下の通り。括弧内のSRはシラクーザ県所属を示す。
- アーチ・カステッロ
- ベルパッソ
- カルレンティーニ (SR)
- グラヴィーナ・ディ・カターニア
- レンティーニ (SR)
- マスカルチーア
- ミステルビアンコ
- モッタ・サンタナスタージア
- サン・グレゴーリオ・ディ・カターニア
- サン・ピエトロ・クラレンツァ
- サンターガタ・リ・バッティアーティ
- トレメスティエーリ・エトネーオ
歴史
紀元前8世紀頃、古代ギリシアの植民都市として建設されたが、第一次ポエニ戦争中の紀元前263年にローマ人に占領され、また11世紀後半にはノルマン人に略奪された。
1169年と1693年には、エトナ山の噴火で出た溶岩及びそれに伴う地震により大損害を受けた。
1434年、シチリア島で最初の大学カターニア大学が設立された。
第二次世界大戦では連合軍による軍事爆撃で大きな被害を受け、1943年7月までにシチリア島が連合軍に落ちた。 さらに連合国は9月2日、イタリア本土へ向けて上陸作戦を始めたことから、ドイツ空軍はカターニア港内の船舶へ爆撃を加えた[7]。
交通
空港
市内交通
スポーツ

サッカー
サッカーのクラブチーム、カルチョ・カターニアの本拠地である。カルチョ・カターニアは1946年創設のチームで、2006年から2014年にかけてセリエAに属していた。八百長への関与による処分(2015年)などを経験し、2017-18シーズンはセリエC(3部リーグ)所属。ホームスタジアムはスタディオ・アンジェロ・マッシミーノ。パレルモに本拠も置くUSチッタ・ディ・パレルモとはライバル関係で、その試合はデルビー・ディ・シチリア(シチリア・ダービー)と呼ばれる。2007年には、カターニアでのパレルモとの試合でサッカー暴動が発生して死傷者が出、イタリアサッカー界に衝撃を与えた。
その他のスポーツ
女子水球クラブチームのASオリゾンテカターニアが本拠を置く。
行政
分離集落
カターニアには、以下の分離集落(フラツィオーネ)がある。
- Bicocca, Codavolpe, Junghetto, Pantano d'Arci, Paradiso degli Aranci, Passo Cavaliere, Passo del Fico, Passo Martino, Primosole, Reitano, Vaccarizzo, Villaggio Delfino
姉妹都市
人物
著名な出身者
- シチリアのアガタ - 3世紀に生きたと伝えられるキリスト教の殉教者。カターニアの守護聖人である。
- ヴィンチェンツォ・ベッリーニ - 19世紀の作曲家。
- エットーレ・マヨラナ - 20世紀前半の物理学者。
- アルド・クレメンティ - 20-21世紀の現代音楽作曲家。
- アンジェロ・ダリーゴ - 20-21世紀の飛行家・冒険家。
- エルコレ・パッティ - 20世紀の文学者、小説家。
ギャラリー
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Duomo di Sant'Agata
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Collegiata di Santa Maria dell'Elemosina
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Basilica di San Nicola l'Arena
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San Placido
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Badìa di Sant'Agata
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San Francesco d'Assisi all'Immacolata
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Sant'Agata alla Fornace - San Biagio
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Santa Maria dell'Aiuto
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San Benedetto da Norcia
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San Francesco Borgia
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Fontana dell'Elefante
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Monumento a Vincenzo Bellini
脚注
- ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Total Resident Population on 1st January 2023 by sex and marital status” (英語). 2023年4月17日閲覧。
- ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: Popolazione residente - Catania (dettaglio loc. abitate) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2013年4月8日閲覧。
- ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: ×Superficie territoriale (Kmq) - Catania (dettaglio comunale) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2013年4月8日閲覧。
- ^ 池上英洋『美しきイタリア 22の物語』光文社、2017年、65頁。ISBN 978-4-334-04303-2。
- ^ “DiPI Online - Dizionario di Pronuncia Italiana”. 2023年8月3日閲覧。
- ^ a b “地図上で2地点の方角・方位、距離を調べる”. 2016年9月21日閲覧。
- ^ 連合軍、イタリア本土に上陸(昭和18年9月4日 朝日新聞)『昭和ニュース辞典第8巻 昭和17年/昭和20年』p406 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
外部リンク
- コムーネ公式サイト (イタリア語)
カターニア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/23 09:12 UTC 版)
2008年6月27日、過去に師事したワルター・ゼンガ監督率いるセリエAのカルチョ・カターニアにフアン・マヌエル・バルガスの後釜として移籍金250万ユーロの4年契約で合意する。加入から半年で僅か93分の出場機会に制限されており、その為に1月の移籍市場で退団は確実かと思われていた。しかし、ゼンガ監督はディカを手元に置いておく考えから残留が決定、そして、その後の状況が改善することはなかった。 イラクリス・テッサロニキへの期限付き移籍 2009年5月4日、ステアウアで師事したオレグ・プロタソフ監督率いるギリシャ・スーパーリーグ (ギリシャ1部) のイラクリス・テッサロニキFCへ期限付き移籍に出される。8月23日のパナシナイコスFC戦 (2-1) で初出場を飾ると共に2得点を挙げた。 CFRクルジュへの期限付き移籍 イラクリスで13試合3得点を記録した後、2010年1月にCFRクルジュへ2010年6月までの期限付き移籍に出される。リーグ優勝を経験。リーグ戦で得点を生むことは出来なかったが、クパ・ロムニエイ準決勝第2戦のFCラピド・ブカレスト戦 (2-1) で初得点を挙げた。 マニサスポルへの期限付き移籍 2010年7月にマニサスポルへ2010-11シーズン終了までの期限付き移籍に出される。しかし、出場機会を得るのに苦戦し、12月14日に契約解除となった。
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