後期バロックとは? わかりやすく解説

後期バロック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/07 14:53 UTC 版)

バロック音楽」の記事における「後期バロック」の解説

イタリアの後期バロックにおいて今日最も有名なのはアントニオ・ヴィヴァルディ1678年 - 1741年)だろう。彼の作曲活動オペラオラトリオを含む多くジャンルわたっていたが、特に協奏曲彼の独自性現れている。ヴィヴァルディ協奏曲では、トゥッティ(全奏、tutti部分ソロ部分対比合奏協奏曲よりも明確となり、独奏楽器技術誇示するような傾向がより強まっている。ヴィヴァルディによって急-緩-急の3楽章形式協奏曲形式確立され、この形式以降古典派ロマン派にまで受け継がれていくことになる。 この時期イタリア作曲家たち、たとえばドメニコ・スカルラッティ1685年 - 1757年)、ジョヴァンニ・バッティスタ・サンマルティーニ1698年 - 1775年)、ジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージ1710年 - 1736年)、ドメニコ・アルベルティ1710年頃 - 1740年)などは、年代的には「後期バロック」に位置しながら、作曲技法においては既に古典派音楽特色多く有しており、この時期イタリア半島音楽はすでに古典派移行しつつあったといえるフランスではジャン=フィリップ・ラモー1683年 - 1764年)がフランス風オペラ伝統継承しいくつかのオペラ=バレ opéra-ballet や音楽悲劇 tragédie en musique残したラモークラヴサン音楽の分野でも重要な足跡残している。オペラにおけるレシ様式はほぼ完全にリュリ以来形式則しており、クラヴサン音楽において形式上フランス風音楽の伝統の上立っているが、オペラにおける序曲等の器楽クラヴサン音楽にはギャラント様式古典派先駆と見られるような特色数多く現れる理論家としても有名で、機能和声についての最初体系的な理論書残した事で知られるドイツでは、中期バロック期に作られドイツ風の音楽に加えてイタリアフランス新し音楽潮流どん欲取り入れられ、「趣味融合」が本格的に行われていく事になる。そのような潮流代表しているのがゲオルク・フィリップ・テレマン1681年 - 1767年)である。彼はこの時期ドイツにおいて最も評価高かった作曲家であり、多作な事でも知られるテレマンは、イタリアフランス最新様式取り入れ音楽監督務めたハンブルク上演されるオペラ作曲したほか、器楽分野ではトリオソナタ協奏曲フランス風管弦楽組曲など幅広い種類音楽作曲し教会カンタータオラトリオ多数残している。ヨハン・アドルフ・ハッセ1699年1783年)は、18世紀中頃において最も人気があり成功したオペラ作家一人で、ヨーロッパ各地120曲以上のオペラ作曲し詩人ピエトロ・メタスタージオ1698年1782年と共にオペラ・セリア確立寄与したドイツ人オペラ作曲家としては、フリードリヒ大王宮廷楽長務めていたカール・ハインリヒ・グラウン1704年 - 1759年)も重要な存在である。バロック期通じてヨーロッパで人気有ったリュートは、この時期他国では急速に需要衰えたが、ドイツではシルヴィウス・レオポルト・ヴァイス1687年 - 1750年)が、楽器開発作曲技法両面でバロックリュートを完成させ、有終の美飾ったヨハン・ゼバスティアン・バッハ1685年 - 1750年)は、当時傑出したオルガニストとして知られオルガンチェンバロのための作品の他、多数教会カンタータ室内楽等を残したものオペラは全く作曲しなかった。彼もまたテレマンと同様、当時ヨーロッパで流行していた様式則った音楽作ったが、その対位法への傾倒同時代人からは反時代的なものとして評価されていた。19世紀におけるバッハ再評価以来バッハバロック時代代表する音楽家考えられてきたが、それまでバロック音楽バッハ中心視点捉えることは必ずしも適切とはいえない。 イギリスでは植民地経営によって経済的に潤うと多く富裕市民あらわれ18世紀には市民の間でオペラ人気が非常に高まったゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル1685年 - 1759年)はイギリス活躍したドイツ生まれ作曲家である。ヘンデル活躍したのは主にオペラオラトリオ分野であり、これらはつねに当時流行スタイル書かれていた。オペラ作品概してイタリアオペラの書法則ってはいたが、序曲舞曲に関してフランス風音楽の影響見られる美しくわかりやすいメロディーロンドン市民に大い親しまれたが、パーセル見られたようなイギリス独特の要素はほとんど見られなかった。 また、これらの諸国以外にも、チェコボフスラフ・チェルノホルスキー1684年 - 1742年)やオランダウィレム・デ・フェッシュ1687年 - 1761年)、スウェーデンユーハン・ヘルミク・ルーマン1694年 - 1758年)のように、ヨーロッパ周辺諸国にも個性的な活動繰り広げた後期バロックの音楽家たちがいる。

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