ゲオルク・フィリップ・テレマンとは? わかりやすく解説

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テレマン【Georg Philipp Telemann】

読み方:てれまん

[1681〜1767]ドイツ作曲家カンタータ受難曲オペラ管弦楽組曲室内楽曲など、多く分野作品残した器楽曲集「食卓音楽」など。


ゲオルク・フィリップ・テレマン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/05 15:13 UTC 版)

ゲオルク・フィリップ・テレマンGeorg Philipp Telemannドイツ語発音: [geˈɔrk/ˈgeːɔrk ˈfiːlɪp ˈteːləman][1]ゲオルク・フィーリプ・テーレマン[2])、1681年3月24日 - 1767年6月25日[3])は、ドイツ作曲家


  1. ^ Duden Aussprachewörterbuch (Duden Band 6), Auflage 6, ISBN 978-3-411-04066-7
  2. ^ 日本では、「テーレマン」ではなく「テレマン」と、第一音節を短音に変化させた読み方・表記が多く用いられる。
  3. ^ Georg Philipp Telemann German composer Encyclopædia Britannica
  4. ^ a b 井上和男、テレマンの項目。
  5. ^ ちなみにテレマンは園芸の趣味もあり、ヘンデルは移住先のイギリスから手紙と一緒にたびたび珍しい植物を送ってテレマンを喜ばせていたという。
  6. ^ バッハの次男カール・フィリップ・エマヌエルのミドルネームにある「フィリップ」は、テレマンの名前にちなんだものである。
  7. ^ テレマンがバッハの死後に送った追悼の言葉(日本語訳)は以下の通り。「今は亡きバッハよ!そなたの見事なオルガン演奏は、ひとりそなたに“偉大”という気高き呼称をもたらせり。そしてまた、そなたが筆にしたもの、最高の芸術表現を喜ぶ者あり、はたまた羨望の念もて眺める者ありき」。
  8. ^ a b 服部幸三、p.235。しかし、当時テレマンが書いたとされる管弦楽組曲の楽譜は大部分が紛失し、現在は確認することができない。
  9. ^ a b 服部幸三、p.242
  10. ^ a b 服部幸三、p.235
  11. ^ 生涯については、同時代の音楽家マッテゾンの聞き取りによる 『テレマン自叙伝』 に詳しい。服部幸三、p.226以下を参照。
  12. ^ テレマン自伝
  13. ^ 英訳テレマン自叙伝。
  14. ^ 服部幸三、p.228。
  15. ^ 服部幸三、p.231
  16. ^ 服部幸三、p.232。ちなみにヘンデルも当時はテレマンと同様、父の意向に従ってハレ大学で法学を学んでいた境遇であった。
  17. ^ この時代のヨーロッパでは、音楽家は社会的地位が低く収入も不安定であったため、当時の音楽家たちの中には就職に有利な学歴を身に付けるために大学で法学を学ぶ者が少なくなかった。後年、テレマンやヘンデルが就職の面で優遇されたのも、大学で法学を学んでいた学歴による所が大きい。一方、家庭の経済的事情から大学へ行くことができず学歴のなかったバッハは、テレマンやヘンデルと比べて就職の面で様々に冷遇されていたと言われる。
  18. ^ テレマンはコレギウム・ムジクムを創設したとされることがあるが、英訳自叙伝の脚注によれば、すでにあった楽団を統率していただけである。
  19. ^ 服部幸三、p.246
  20. ^ 服部幸三、p.240
  21. ^ 現存するテレマンの歌劇作品は、大部分がこの年以降のものである。「オペラ」作品の項目を参照。
  22. ^ 服部幸三、p.244。
  23. ^ a b 当時のライプツィヒの新聞で作曲家の人気投票を行ったところ、1位がテレマンで、ヘンデルは2位、バッハは7位だったという記録がある。
  24. ^ 服部幸三、p.245。
  25. ^ 服部幸三、p.246。
  26. ^ 自叙伝によれば、ハンブルク市歌劇場からの年俸が300ライヒスターラー、アイゼナッハの不在楽長職の年俸が100ライヒスターラー、バイロイト宮廷楽長の年俸が100ライヒスターラーであったと書いている。ハンブルク市音楽監督の年俸は不明。合わせても8年分以上の年俸に当たる。服部幸三、p.244-5。
  27. ^ テレマンの全作品は4000曲どころではなく、それを優に越えるという説も有力だが、現在までにどれほどの作品が紛失したのかは解かっていない。
  28. ^ 詳細はベーレンライター社のサイトにある(作品集)。
  29. ^ Project Museの記事によれば、さらに多くの草稿がダルムシュタットとドレスデンに残っている。
  30. ^ 英語版 TWV のページを参照。
  31. ^ Telemann's New Musical System
  32. ^ (4246) Telemann = 1968 DS = 1969 VM = 1978 JN = 1982 SY2”. MPC. 2021年10月6日閲覧。
  33. ^ 第2部第5章(p.226-248)は「テレマン自叙伝『わが生涯より』」と題され、ヨハン・マッテゾンによる 『音楽家の栄誉の門』(Grundlage einer Ehrenpforte、1740年)に収められた「テレマン自叙伝」を全文訳出している。


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