中期バロックとは? わかりやすく解説

中期バロック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/07 14:53 UTC 版)

バロック音楽」の記事における「中期バロック」の解説

17世紀前半イタリアで興った新し音楽流れ、特にオペラ発生通奏低音使用は、直接にせよ間接にせよ、他のヨーロッパの国々影響与えていくことになる。 フランスでは17世紀前半まで宮廷バレエballet de cour)やエール・ド・クールリュート伴奏による世俗歌曲)など比較的独自の音楽文化持っていた。1650年頃に、イタリア出身マザラン卿がイタリアオペラ紹介した事などで、イタリア風の音楽が流入したルイ14世宮廷では1670年頃まで依然として宮廷バレエが盛んであったイタリアから招かれジャン=バティスト・リュリ1632年 - 1687年)は、ルイ14世宮廷多くバレエ音楽コメディ=バレ作った。やがてフランスでイタリアオペラ流行するが、リュリイタリア風のレチタティーヴォアリアフランス語音素相いれないのであるとして、フランス独自のオペラジャンル叙情悲劇(tragédie lyrique)を打ち立てた。この叙情悲劇は、歌手の歌うレシ(récit)と舞曲から構成されていた。レシレチタティーヴォフランス語発音にあうように改変したものであり、舞曲宮廷バレエから引き継がれたものであるリュリルイ14世宮廷圧倒的な影響力誇っていた事もあって、結果的にリュリ作品群によってその後のフランスにおけるバロック音楽の独自の形式確立される事となった。 この時期フランスではリュリの他にもマルカントワーヌ・シャルパンティエ1643年 - 1704年)がモテmotet)や劇音楽室内楽分野活躍した他、マラン・マレ1656年 - 1728年)などのヴィオール奏者や、クラヴサン奏者たちが、器楽独奏による組曲形式多く優れた作品残したオーストリア南ドイツでは、前時代引き続いてより直接的にイタリアの音楽輸入が行われた。ウィーン宮廷ヴェネツィアから大勢音楽家招いてイタリア系音楽が盛んであり、イタリアでカリッシミフレスコバルディ学んだヨハン・ヤーコプ・フローベルガー1616年 - 1667年)、ヨハン・カスパール・ケルル1627年 - 1693年)といったドイツ人音楽家活躍しはじめたヨハン・パッヘルベル1653年 - 1706年)はウィーン学んだのちドイツ中部南部ルター派圏で活躍した。彼らによってもたらされオラトリオ教会カンタータといったイタリア教会音楽の新様式が、ルター派ドイツ語テクストにも適用されドイツ独自の発展遂げた北ドイツ・オルガン楽派流れ引き継ぐ中期バロックの音楽家としてディートリヒ・ブクステフーデ1637年頃 - 1707年)がいた。この時期北ドイツオルガン楽派はその高度なテクニック、特に巧みにペダル鍵盤を操ることで知られるブクステフーデオルガン用のコラール前奏曲や、ドイツ語カンタータはこの時期ドイツバロック音楽一つ典型的な作品であるといえるパッセージ作り方北ドイツ・オルガン楽派方法引き継いでいる一方で、チャコーナ、パッサカリアといった形式をしばしば使用しており、ブクステフーデ自身イタリアで学んだ事はなかったが、楽曲の形式などではイタリア風の音楽の影響見られるイギリスでは、16世紀末頃から17世紀前半まではリュート伴奏による独唱曲(リュートエア lute ayre)や、ヴィオール族のためのヴァイオル・コンソートの音楽などジョン・ダウランド1563年 - 1626年)やウィリアム・ローズ1602年 - 1645年)らによって作られた。はじめはルネサンス時代イギリス音楽特徴残した独特の音楽持っていたが、リュートエアに関しては、イタリアモノディー様式やレチタティチーヴォ、アリア影響次第に受けるようになるバロック中期イギリス活躍した作曲家としてはヘンリー・パーセル1659年 - 1695年)があげられるパーセル時代にはイギリスにはリュリ式のフランス風音楽輸入され始めていた。パーセルは、歌曲分野ではイタリアモノディーの影響受けた作品残した一方で劇音楽分野では、フランス風序曲フランス風舞曲使用しており、フランス音楽の影響強く見られるしかしながらパーセル音楽は、イタリア音楽フランス音楽模倣というよりはむしろそれらを取り入れた独自の形式であった評価されている。 このころイタリアでアルカンジェロ・コレッリ1653年 - 1713年)が新たな形式音楽作り出していた。彼の新たな作曲法トリオソナタヴァイオリンソナタ典型的に現れている。彼の音楽ルネサンス的な対位法から完全に離れて機能和声的な観点から各声部緻密に書き込むといったものであり、それに従って通奏低音パート書き込まれバス数字も、初期バロック作品とは異なり細部渡って詳細に書き記されている。結果として曲想初期バロックそれよりも抑制され均整のとれたものとなっている。コレッリトリオソナタヴァイオリンソナタは、1681年から1700年相次いで出版されるや否やヨーロッパで人気博し瞬く間にこの「コレッリ様式」が普及する事となる。また、合奏協奏曲形式作られたのもこの時期であり、コレッリ合奏協奏曲残している。 フランソワ・クープラン1668年 - 1733年)はフランスにおけるコレッリ様式擁護者ひとりであり、多くトリオソナタ残している。彼はフランス風音楽イタリア風(コレッリ風)の音楽融合させることを試みており、「コレッリ賛」(L'Apothéose de Corelli)と名付けられトリオソナタを曲集「趣味融合」(Les goûts-réünis)(1724年)の中に収録している。また、その次の年に出版された「リュリ賛」(Apothéose ... de l'incomparable Monsieur de Lully, 1725年)は、それぞれの曲にリュリまつわる表題付けられており、パルナッソス山に登ったリュリが、コレッリとともにヴァイオリン奏でる、といった筋書き設定されている。 イタリアオペラカンタータオラトリオ分野ではアレッサンドロ・スカルラッティ1660年 - 1725年)に言及せねばならない彼のオペラ生前からとて人気があったが、音楽史的な観点から重要なのはその形式上変化である。スカルラッティオペラでは様々な点でより古典期以降オペラに近づいている。この事はたとえば、三部形式ダ・カーポアリア使用や、器楽におけるホルン利用などから知ることができる。 このように、中期バロックの時代には、初期バロック見られ極端なものや奇異なるものから、より緻密に作られ均整のとれたものへと趣味変化していった他、楽器に関しても、弦楽器ではヴァイオリン族管楽器ではフルートオーボエといった現代オーケストラ用いられる楽器直接祖先定着し始めていた事から、「バロック的」なものから古典主義的なもの、あるいは古典派音楽への遷移始まりであったとみなす事もできる。

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