中期ペルシア語の文献
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/23 01:09 UTC 版)
中期ペルシア語(パフラヴィー語)の文書である『パーパクの息子アルダシールの偉業の書(英語版)』(Kār-Nāmag ī Ardašīr ī Pābagān) は、アルダシールの祖先について次のように述べている。「カヤーン人アルダシール、サーサーンの家系そしてダーラー王の血統パーパクの息子」(ardaxšīr ī kay ī pābāgān ī az tohmag ī sāsān ud nāf ī dārāy šāh)。しかしながら、別の中期ペルシア語の文書である『ブンダヒシュン』は次のような系図を与えている。「アルダシールはパーパクの息子であり、母はウェー・アーフリードの息子であるサーサーンの娘である」(Artaxšahr ī Pābagān kē-š mād duxt ī Sāsān ī Weh-āfrīd)。これはサーサーン朝の起源に関する中期ペルシア語の文献の間における矛盾を示している。双方の情報源はともにパーパクをアルダシールの父と見なしている一方、サーサーンは前者ではアルダシールの祖先、後者では祖父として説明されている。
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