古典期とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 同じ種類の言葉 > 地理 > 考古学 > 古典期 > 古典期の意味・解説 

古典期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/21 14:51 UTC 版)

古典期(こてんき)は、時代区分のための用語で、具体的には次のようなものがある。

地中海世界

地中海世界研究や西洋文明研究において「古典期 classical period」と言うと、広く古代ギリシアおよび古代ローマが栄えた時代のことを指し、おおむね紀元前8世紀ころから6世紀ころまでの広い範囲を指す。これを「古典古代」とも呼ぶ。この後には、いわゆる「中世」が続く。

古代ギリシア

古代ギリシアの「古典期」(: Classical period)は「アルカイック期」の後、「ヘレニズム期」の前にあたる。具体的な年数は、学者や文脈によって異なるが、基本的にはアテナイ民主政が確立していた紀元前508年から紀元前322年まで[1]、または、ペルシア戦争が終わった紀元前479年からカイロネイアの戦いでギリシアがマケドニアに負けた紀元前338年ころまでを指す。

アテナイで、ポリスの市民を主体とした民主政が高度に繁栄した時代であり、古代ギリシアの最盛期である[2]

現代人が「ギリシア文化」と聞いて思い出すものは、ほとんどがこの古典期のギリシアのものである[2]。たとえば三大悲劇詩人の活躍。アクロポリスパルテノン神殿の建築[2]。またソクラテスからプラトンへ、そしてアリストテレスへと、師から弟子へとバトンが継承されるようにしてギリシア哲学が展開していったこと[2]。またヘロドトストゥキディデスによって歴史書が書かれたことなど。これらはいずれも、古代ギリシアがペルシア戦争に勝利し、ポリスで民主政治が確立し、ポリスの民主的な社会で自由市民たちによって生み出されたのである[2]

ギリシア古典期の文化は、ヘレニズム期を経て、古代ローマに継承される[2]

古代ローマ

古代ローマに関して(に限定して)「古典期」と言うと、紀元前1世紀頃から2世紀頃までを指す。共和政ローマローマ帝国の一時期である。

古代ローマで話されていた言葉はラテン語であるが、この時期に実際に話されていたラテン語を「古典期ラテン語」や「古典ラテン語」などと言う。

メソアメリカ

メソアメリカ考古学の領域で「古典期 Classic Period (Stage,era)」と言うと、時代区分のひとつで、西暦300年頃から西暦900年までを指す。 始期は、グアテマラティカル出土のライデン・プレートにある長期暦の日付(紀元320年)や29号石碑に刻まれた8.12.14.8.15.(紀元292年)頃を目安としている。一方、終期はトニナーの記念碑101号に刻まれた長期暦の10.4.0.0.0.(紀元909年)を目安としている。この時期までに古典期マヤの諸都市は放棄された。

ゴードン・ランドルフ・ウィリー(Gordon R.Willey)とフィリップ・フィリプス(Philip Phillips)によって1958年に著されたMethod and Theory in American Archaeologyで、新大陸全体の考古遺跡について編年の枠組みを構築しようと試みた五段階時期区分(石期(Lithic)、古期(Archaic)、形成期、古典期(Classic)、後古典期(Postclassic))の四番目の時期として位置づけられたのが初出である。その後、アンデス文明については、アメリカの人類学者たちやルイスG.ルンブレラスの提唱した編年が用いられるようになったため、現在では主としてメソアメリカのみで使われている編年用語である。

一般的には、テオティワカンの影響の強い前期と、マヤ諸都市国家が争った後期とに分ける。以前はテオティワカンの影響は5世紀から開始すると考えられていたので、わざわざ中期(Middle Classic)を置く考え方もあった。

古典期という名称は、古代ギリシアローマ古典古代のイメージでギリシャのようにマヤ諸都市が繁栄した時期というイメージの名称であるため、メソアメリカ全体の時代区分としては問題があると言われている。アンデスと統一するため、前期ホライズン(Early Horizon/メソアメリカ;オルメカ/アンデス;チャビン)、前期中間期(Early Intermediate Period/モンテ・アルバンⅡ期、原古典期イサパなど/地方発展期=モチーカナスカ)、中期ホライズン(Middle Horizon/テオティワカン/ワリ)、後期中間期(Late Intermediate Period/ショチカルコトルテカ、マヤ/地方王国期=シカンチムー)、後期ホライズン(Late Horizon/アステカ/インカ)という区分を主張する研究者もいる。

関連項目

脚注

  1. ^ 佐藤昇「古代ギリシアのポリス」『岩波講座世界歴史 第2巻 古代西アジアとギリシア ~前1世紀』岩波書店、2023年。ISBN 9784000114127 121;140頁。
  2. ^ a b c d e f 世界史の窓「古典期」

古典期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 14:10 UTC 版)

古代ギリシア」の記事における「古典期」の解説

詳細は「古典時代 (古代ギリシャ)」を参照 古典期に入るとアテネがこの時代代表的な舞台となる。紀元前508年クレイステネスアテネにおいて民主制基盤整えて以降アテネアケメネス朝ペルシア二度侵攻いわゆるペルシア戦争勝利することでその名声高めて行く。そしてアテネデロス同盟を結び、その盟主となるとエーゲ海支配して行き、さらに民主化進んで行き、この時代アテネ全盛期迎える。しかし紀元前431年勃発したペロポネソス戦争長期化し、紀元前403年スパルタ破れたことでアテネ凋落しその後スパルタテーバイとその主導権移ってゆくが、北方マケドニア王国勃興によりポリス徐々にその支配受けて行くことになる。 この古典期は後世ヨーロッパ人影響与えルネサンス時代にはこの古典期に魅了され、そのすぐれた美術品人間中心考え方を「模範」として見出し、この時代を「古典期」とした。そしてこの時代ギリシア人としての出現とともに西洋文明始まったとされ、ギリシア人作り出した無数の価値観そのまま後世持ち込まれてゆき西洋文明中核をなすものとなっていった。

※この「古典期」の解説は、「古代ギリシア」の解説の一部です。
「古典期」を含む「古代ギリシア」の記事については、「古代ギリシア」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「古典期」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



古典期と同じ種類の言葉


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「古典期」の関連用語

古典期のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



古典期のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの古典期 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの古代ギリシア (改訂履歴)、ローマ法 (改訂履歴)、アナキズム (改訂履歴)、古代ギリシアの彫刻 (改訂履歴)、彫刻 (改訂履歴)、エレウシスの秘儀 (改訂履歴)、古代ギリシアの演劇 (改訂履歴)、ベリーズの歴史 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS