先古典期
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先古典期(せんこてんき、Preclassic Period (Stage,era))は、メソアメリカ考古学上の時代区分で、オルメカ文明が繁栄した時代として知られる。その後期に当たる時期にエル・ミラドールやラマナイ、ナクベ、ヤシュナなどに巨大な建造物が築かれていることが判明してきたために、形成期(Formative Period (Stage))という用語に代えて、「古典期に先行する古典期」という意味合いで使われるようになった。 最近では、グアテマラ、ペテン県のサン・バルトロで、古典期同様のマヤ王権がすでに成立していたことを示す壁画が発見されて、マヤ王権の起源を考える上で重大な資料となっている。 アンデス文明や新大陸全体の時代区分では、「形成期」に相当する。概して紀元前2000年頃から紀元後300年の時期を指すが、紀元前後から紀元後300年頃を原古典期(Protoclassic Period (Stage,era))と位置づける研究者もいる。
- 1 先古典期とは
- 2 先古典期の概要
先古典期
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「アルタル・デ・サクリフィシオス」の記事における「先古典期」の解説
アルタル・デ・サクリフィシオスで最も古い建造物群はグループBに集中している。グループBの南側に位置する建造物B-Iは、アルタル・デ・サクリフィシオスで最も高い建物として知られ、高さ13 mを測る。建造物B-Iの最下層は、本来の地表に建てられたシェー相の住居の基壇であり、それを順次覆ってピラミッドが築かれていることがレイヤード・スミスとゴードン・ウィリーらの発掘調査で明らかになった。最初のピラミッド様の建造物が建てられたのは先古典期中期後半のマモム期(ペテン地方を中心としたマヤ低地南部の標式遺跡ワシャクトゥンの編年で先古典期中期の後半に相当)並行のサン・フェリクス相(紀元前600年-紀元前300年)の後半であり、構築物Gと呼ばれる南北に2段ずつの階段のある低い建物であった。B-Iの北西には、B-IIの構築物F、B-Iに向かい合って北側にあるB-IIIには構築物FとEが造られた。その後チカネル期(ワシャクトゥンの編年で先古典期後期に相当)並行のプランチャ相の前半(紀元前300年-紀元前後)にB-I-Gの基壇を覆ってピラミッドが3回にわたって造られた(構築物F, E, D)。建造物B-IIは、サン・フェリクスからプランチャにかけての時期に構築物D, さらにそれを覆って構築物Cが建てられている。構築物Cにかぶせて構築物Bが建てられているが、これも石灰に貝殻を混ぜ込んだ壁や土器の出土状況から間接的に判断してプランチャ相の後半頃と考えられる。建造物B-IIIもプランチャ相の前半に構築物Eを覆って、構築物Dが建てられ、その上を覆う構築物Cは、高さ3.6 mに達する頂部を平坦につくるピラミッドで、プランチャ相後半の遺物を含む埋葬99号より古いことがわかっている。構築物Cを覆う構築物Bは、プランチャ相の最終末である。
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先古典期
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マヤ最古の土器を伴う集落遺跡(前期末~中期/1200B.C.頃~900B.C.頃) マヤ文明が栄えた地域のなかでも最も古く、先古典期中期でも最も早い時期にオレンジウォーク郡オレンジウォークの西5kmのクエリョ(Cuello)遺跡(スペイン語版、英語版)で、楕円形の基壇を持つ住居跡からなる集落跡が確認され、それに伴う土器はスワジー式土器といい、放射性炭素年代測定法などでマヤ地域で最も古い土器であることが判明した。 巨大な建造物とスタッコ人頭神殿の出現(後期/500B.C.頃~A.D.100頃) 先古典期後期になると、紀元前100年頃、ラマナイ(Lamanai)遺跡で、建造物N10-43という、二段の階段状基壇の上にやや小さめに四段の階段状基壇が載るピラミッド神殿が建設され、その規模は、この建物が囲んでいる広場(plaza)の床面から、33mに及んでいる壮大なものであった。そして、この時期独特のマヤの神々の4mに及ぶ漆喰彫刻の顔(スタッコ人頭)が建造物下部の階段の両脇を飾っていた。また、同じようなスタッコ人頭が建造物の基壇につけられる建物は、コロサル郡のセロス(Cerros)遺跡でも確認されている。このほかノームルでも大規模な建築活動が見られた。
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