先古典期中期前半(レアル相)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/03 23:45 UTC 版)
「セイバル」の記事における「先古典期中期前半(レアル相)」の解説
セイバルに人が住み始めたのは、紀元前900年ころの先古典期中期初頭と考えられ、セイバルの編年では、先古典期中期前半は、レアル相と呼ばれ、アルタル・デ・サクリフィシオスと類似のシェー(Xe)式土器が出土する。マイケル・コウは、「マヤ高地」からラカントゥン水系沿いに伝わったと考え、チャパス州高地で同時期にみられる硬質の白色土器との関連を想定するが、ウィリーズ・アンドリュース5世は、この時期の土器はチャパス州起源の集団がパシオン川流域に移り住んで、セイバルやアルタル・デ・サクリフィシオスの最古の集落を営むようになったのではないかと考えている。レアル相の遺構は、グループAに主に見られる。グループAの「中央プラザ」で検出された「供納穴」(Cache)7号で、ひすい製の儀礼用石斧が6本十字状にならべられているのが確認された。これは、タバスコ州にある同時期のオルメカのセンターであったラ・ベンタにもみられるもので、5点のレアル相の土器と放血儀礼 (Bloodletting) に用いられた穴あけ用の道具が1点、炭化物も伴っていた。炭化物の放射性炭素年代測定を行ったところ、紀元前900年ごろという測定値が得られた。 1960年代中ばに行われたハーバード大学の調査では、この「供納穴」が検出されたほかは、この時期は小規模な集落の家屋のマウンドが散在していてシェ式土器はそれに伴うものとして考えられてきた。 しかし、イェール大の猪俣健らの調査隊が構築物A-24の基壇に2m×2mの試掘坑をあけ、深さ7.5mまで調査した。この7.5mは、36の層に分層することができ、下の14層から36層まで、深さ1.7 - 7.5mまでが先古典期中期前半であった。深さ5.2mの層位でシェ式土器を共伴する高さ5m以上の基壇状構築物が5回にわたって増改築されている状況が確認され、先古典期中期前半のセイバルの活動は想像されていた以上に活発であって、公共的な基壇状構築物が確認されるのは先古典期中期後半からとする考え方が覆されることとなった。 もっともハーバード大学の調査隊もグループAの「中央プラザ」と構築物A-14の東側には、まだ確認されていない低い基壇を伴う建築物があるのではないかと推測はしている。 グループCでは、南端にある構築物C-79の周辺を中心にこの時期の土器片が確認されている。しかし、全体としてはわずかであり、本格的な活動の痕跡は未だに確認できていない。 グループDでは、北プラザで建物の柱穴からわずかな土器片が確認されている。
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