土器編年と良質オレンジ土器
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/03 23:45 UTC 版)
「セイバル」の記事における「土器編年と良質オレンジ土器」の解説
セイバル最古の先古典期中期前半のレアル相(900B.C. - 600B.C.)の土器については、1970年代ごろからロバート・シャーラーやギフォードらのグアテマラ北部高地起源とする意見とメキシコ湾岸起源とするリチャード・アダムスなどの意見、タバスコ州北西部のチョンタルパ平原の起源とする説が有力であったが、ウィリーズ・アンドリュース5世がテワンテペク地峡の遺跡やチャパス州東部の遺跡でみられる土器とアルタル・デ・サクリフィシオス、セイバルの土器を表面調整、混和材、胎土について比較して、テワンテペク地峡の土器によく似ているがそのどれでもなく、アルタル・デ・サクリフィシオスのシェ相の土器のほうがチャパス州東部のものに似ていてやや古く、セイバルのレアル相のほうがやや新しく、チャパス州東部の人々がパシオン川流域に入ってきたのであろうとしており、最近はこの考え方が有力となっている。アルタル・デ・サクリフィシオスの土器は、灰や砂を混和材に用いて雲母のように胎土が光ることがあるがセイバルのものは方解石が混ぜられていてやや異なるとされる。 しかし、先古典期中期後半のエスコバ相(600B.C. - 300B.C.)から先古典期後期のカントウツェ相(300B.C. - A.D.270)の土器になるとペテン低地およびベリーズでみられる土器とよく似てくることとなり、この傾向はアルタル・デ・サクリフィシオスでも同様で、ペテン低地の標式遺跡ワシャクトゥンのマモム相(先古典期中期後半)やチカネル相(先古典期後期)の土器とほとんど変わらないものとなる。つまり、マモム相のホベンチュド赤色(Joventud Red)、ピタル乳白色(Pital Cream)、チカネル相のシエラ赤色(Sierra Red)、ポルベロ黒色(Polvero Black)、フロール乳白色(Flor Cream)と呼ばれる単色土器で蝋のような鈍い光沢(waxy)を持つ土器である。カントンツェ相の後半には、エルサルバドルのウスルタン式土器を意識したような波線文様を器面の縦方向に彩色するものや乳房型の脚を持つ土器が現れる。 古典期前期前半のフンコ相(AD.270 - 500、ワシャクトゥンのツアコル1相および2相並行)になると先古典期の土器に対してつやつやした光沢をもつペテン光沢土器(Peten Gloss Ware)の赤色(カリバル赤色、Caribal Red)、黒(バランサ黒色、Balanza Blackおよびルーチャ刻線、Lucha Incised)および多彩色(Polychrome)の土器があらわれる。ベイスル・フランジュ(basal-flanged)と呼ばれる胴部の中央部に鍔をつけて幾何学文様を描いた高台のついた広口の碗形ないし浅鉢形土器がこの時代の特徴的な土器であるが、ワシャクトウンやアルタル・デ・サクリフィシオスのようにテオティワカンの影響をうかがわせる時期(ツアコル3相)の土器は発見されず、この時期はセイバル自体もいったん放棄されている。 古典期後期前半のテペヒロテ相(A.D.650 - 770)になると動物や人物など様々な画像やマヤ文字が描きこまれた華やかなワシャクトゥンのテペウ相並行の土器が用いられる。 古典期後期前半のテペヒロテ-バヤル移行期(A.D.770 - 830)およびバヤル相(A.D.830 - 930)になると、テペウ相的な土器が徐々に消失し、良質オレンジ(Fine Orange)もしくは精胎土オレンジと呼ばれる卵型で円形の脚をつけた胴部中央に同時代の石碑によく似た人物像などのレリーフを施した土器があらわれる。しかし庶民階層の粗製土器については変化はみられない。 この良質オレンジ土器については、南イリノイ大学及び ハーバード大学ピーボディ博物館などによる中性子放射化分析による胎土分析法によって、メキシコ湾に注ぐ河口からアルタル・デ・サクリフィシオスに至るまでのウスマシンタ流域で採取される土を同一の胎土として焼かれたことが判明した。
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