古典期後期前半(テペヒロテ相、A.D.650 - A.D.770)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/03 23:45 UTC 版)
「セイバル」の記事における「古典期後期前半(テペヒロテ相、A.D.650 - A.D.770)」の解説
テペヒロテ (Tepejilote) 相の時期になると、グループDほどではないものの、グループAの人口や建築活動の増加が目立つようになる。 構築物A-2から検出された埋葬17号は、放射性炭素年代測定によって、A.D.600年のものであることが明らかになった。象形文字の階段を伴う構築物A-14の下層構築物はテペヒロテ相の後半に造られたと考えられ、象形文字の階段もこの時期のものが移設されたと考えられる。セイバル最古の紀元745年の日付を刻んだ石碑もグループAで建てられた。また石碑22号の下に確認された「供納穴」11号もこの時期に相当するものである。 グループCでは、3本の堤道の交点に位置する構築物C-18について、調査を行ったところ、表面から80cmほど最終末の時期であるバヤル相の堆積が覆っていたが、その下層から、2000点に上る土器片が確認され、ほとんどがテペヒロテ相に相当する時期の土器片であった。そのため、構築物C-18の活動がテペヒロテ相の時期からであることが明らかになった。 またユニットとして番号が付けられたグループCの構築物の小グループのうちユニットC-32で確認された埋葬23号と埋葬24号は、テペヒロテ相のものであった。 グループDでは、広場(court)Aを取り囲む構築物、グループDのプラザ、構築物D-12、D-30、D-32がこの時期に建設され、セイバルの活動の中心となった。「中庭C」で検出された埋葬19号、構築物D-26の南側の堆積中から確認された埋葬29号もこの時期のものである。
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