建築活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/08 13:27 UTC 版)
ペーローズ1世は多くの都市を建設したことで知られている。10世紀に古典アルメニア語で書かれた『アルバニアの国家の歴史(英語版)』によれば、ペーローズ1世は臣下のアルバニア王ヴァチェー2世に命じてペロザパト(英語版)(「ペーローズの都市」または「成功者ペーローズ」を意味する)を建設させた。しかし、アルバニア王国は460年代半ばにヴァチェー2世による反乱が平定された後にペーローズ1世によって廃止されていたため、ヴァチェー2世が建設した可能性は低い。実際にはアルバニアの支配者の一族を排除した後にペーローズ1世自身によって都市が築かれたとみられている。都市はアルバニア内のより安全な場所に位置していたため、ペルシアのマルズバーンの新しい居住地となった。また、ペーローズ1世はアードゥルバーダガーンにシャフラーム・ペーローズ(今日のアルダビール)、レイの近郊にラーム・ペーローズ、グルガーンとデルベントの間にロウシャーン・ペーローズを建設した。 イベリアのボルニシ・シオニ(英語版)のバシリカはサーサーン朝の影響力がイベリアにおいて強まっていたことを示している。このバシリカは478年か479年にグガルクのミフラーン家による支配下にあったイベリア南部に建設された。バシリカに見られる図像はペルシアの特徴を示し、さらに古ジョージア語で書かれたボルニシの碑文(英語版)はペーローズ1世について言及している。 「 至聖三者の助けにより、この聖なる教会の基礎はペーローズ王の治世第20年に築かれ、15年後に完成した。ここで祈祷する何者をも神は憐れむであろう。また、この聖なる教会の建設者である主教ダヴィトのために祈る者にも神は憐れむであろう。アーメン。 」 このバシリカの建設はペーローズ1世の依頼によるものではないが、ボルニシ・シオニの建設者はサーサーン朝の王家による建築物に着想を得ていた可能性がある。 ペーローズ1世の治世は4世紀後半に建設が開始されたゴルガーンの長城(英語版)が完成したと考えられている時期としては最も遅い時期にあたる。また、後のカワード1世やホスロー1世の治世にも長城に追加的な要塞群が作られた可能性がある。このカスピ海沿岸からピーシュカマル(英語版)まで伸びる長城は当時としては最大の規模を持ち、古代末期から中世にかけてのペルシアの軍事インフラへの投資としては最大のものであった。
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