建築活動の停滞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 02:48 UTC 版)
しかし、ローマ帝国の末期の時代となると、ローマ帝国の国力は低下、更にゲルマン人の南下などにより、壮大な建築を建設するほどの余裕、技術は失われていった。また、キリスト教の普及とともに、ローマ古代の神々を祭る、大きな神殿などは造られず、逆にこじんまりとして閉鎖的なキリスト教の教会堂建築などが、数多く建設されるようになり、ローマの大規模な建築を行う力は衰退していった。 テトラルキア以後、有力者間の権力抗争が絶えず、皇帝府にした「東ローマ帝国(のちのビザンツ帝国」)、を皇帝府とした「西ローマ帝国」が敷かれることとなった。文化的に国力が豊富な東ローマ帝国では、として発展を遂げ、「ビザンティン建築」という、新たな建築様式が発展した。一方、西ローマ帝国は建築様式も、ガッラ・プラチディア廟堂など一部の例外を除いて停滞することとなり、以前のローマ帝国の建造物(フォルム・ロマヌムなど)は忘れ去られていった。
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