古典期後期中葉(テペヒロテ-バヤル移行期もしくはテペヒロテ相後半、A.D.770 - A.D.830)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/03 23:45 UTC 版)
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古典期後期中葉のこの時期は研究者によって呼称が微妙にことなり、スミスは、テペヒロテ相の後半とするが、サブロフはテペヒロテ-バヤル移行期 (Tepejilote-Bayal-Transition) とする。ここでは、土器編年を行ったサブロフの意見を採り、テペヒロテ-バヤル移行期とする。 この時期には、グループDの活動が後退し、グループAの活動が活発化する。構築物A-9から-12が建設され、石碑5 - 7号にこの時期に相当する日付が刻まれた石碑が建立される。 グループCでは、構築物C-18から南側へC-79へ向かって伸びる堤道IIが建設され始める。また堤道IIにそって球戯場C-9が建設されたのがこの時期と考えられる。 グループDでは、「中庭」Aと構築物D-32に増築活動がみられる。また石碑24号がこの時期に建立されている。
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