古典期前期(A.D.250年 - 550年)
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「マヤ文明」の記事における「古典期前期(A.D.250年 - 550年)」の解説
開花期の古典期(A.D.250年 - 550年)にはティカル、カラクムルなどの大都市国家の君主が「優越王」として群小都市国家を従えて覇権を争った。「優越王」であるティカルとカラクムルの王は、群小都市国家の王の即位を後見したり、後継争いに介入することで勢力を維持した。各都市では、巨大な階段式基壇を伴うピラミッド神殿が築かれ、王朝の歴史を表す石碑(stelae)が盛んに刻まれた。378年ごろにはメキシコ中央高原のテオティワカンの影響がティカルやコパンなどマヤ低地南部のいくつかの都市に見られ、この時期にテオティワカンから一部勢力がマヤに影響力を行使したことがうかがえる。ただしこうした影響は短期間にとどまり、やがて地元の文化と融合していった。
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