建造物A-IIIその他
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/03 23:49 UTC 版)
「アルタル・デ・サクリフィシオス」の記事における「建造物A-IIIその他」の解説
A-IIの対になっているのは、プラザの東側に築かれたやはりA-II同様に長方形の宮殿様基壇である建造物A-IIIである。建造物A-3は、古典期前期に構築物Dが赤い砂岩を用いて建設された。構築物Cも構築物Dを覆って古典期前期に建設された。構築物Cを覆って石灰岩の建物である構築物Bがパシオン相の後半、古典期後期の中葉に建設された。構築物Bは、西向きに3つの階段を持つ低い基壇の上に、6段からなる基壇で構成され、西向きに階段を持っている。本体の大きさはおおむね30 m×23 mほどで頂部からは祭壇5号が確認されている。やはり、パシオン相の後半に構築物Bを覆って構築物Aが造られた。構築物Aは、幅28 mくらいの階段をもつ低い基壇の上に、幅50 m弱、奥行き23 m, 6段の基壇と西向きに二つの階段を持つ。頂部には、祭壇が載せられた低い基壇があったと考えられる。なお、建造物A-3の発掘調査行った際には、高貴な女性の墓である埋葬96号が検出されたが、副葬品にAltar Vaseの名で知られるカレンダー・ラウンドで754年に当たる日付が描かれた円筒形の深鉢が発見された。これが構築物Aの年代の決め手となっている。 またこの時期には北側のプラザの南側に建造物A-5と名付けられた球戯場が築かれている。一方グループAの南側のプラザは北側のように整然としていないが、いくつかの神殿基壇に囲まれていることが地図からうかがうことができる。7世紀前半の日付を示す石碑8号、9号、18号が建立されている。 アルタル・デ・サクリフィシオスを支えてきた人々の住居の跡である小規模の居住に用いられたマウンド群は、大規模な神殿マウンド群の西側にひろがっている。そのうち40基ほどが図化され、いくつかが試掘調査が行われている。時期的には先古典期から古典期にあたる時期のもので、パシオン、サリナス川流域の組織的な一般調査をおこなっていないためはっきりしたことは言えないがかなりの広がりをもっていたと考えられる。
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