建造物A-II
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/03 23:49 UTC 版)
「アルタル・デ・サクリフィシオス」の記事における「建造物A-II」の解説
建造物A-IIは、グループAの北側のプラザの西側に位置する長細い基壇である。A-IIの建設活動が始まった年代は、共伴する土器の資料が同定できないのではっきりした年代は不明だが、赤い砂岩を建材として使用しているため、古典期前期終末から古典期後期初頭にA-IIの北側部分に構築物Dが建設されたと考えられる。構築物Dを覆って石灰岩で造られた構築物Cが建設された。構築物Cは、8段の階段状基壇を持ち、東側に階段を6か所(階段1〜5, 7)もっている。頂部にプラットフォームA〜Dと呼ばれる低い基壇があり、プラットフォームCに祭壇1号が置かれているため、復元図では、すべてのプラットフォームに祭壇が置かれていたと推察している。南端部に3段の基壇と階段(階段8号)を持つ建物を伴う。共伴する土器からパシオン相の後半であり、構築物Bに伴って建立された石碑7号の日付9.14.0.0.0.(711年)を下限とする。階段5号に伴う石碑1号が構築物Cに伴って建立されたと考えられ、その日付は9.11.1.0.0.0.(662年)である。構築物Cの南側の基壇を覆って、増築するようにして構築物Bが建設され、構築物Cの階段はそのまま使用された。南側の基壇を覆って建てられた一段目の基壇にはアルタル・デ・サクリフィシオスで最も背の高かったと考えられる石碑7号が建立された。構築物Cを覆いつつ階段2号〜5号を一部破壊して構築物Aが建てられた。階段1号の前には張り出した一段の低い基壇であるプラットフォームGが増築され、南端部には階段9を持つプラットフォームHが造られた。階段2号と3号の間の位置に階段6号が建設された。構築物Aは後古典期前期のヒンバ相の時期に破壊され、石材が持ち去られたことがわかっている。
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