建造物としての正倉院とは? わかりやすく解説

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建造物としての正倉院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/14 18:58 UTC 版)

正倉院」の記事における「建造物としての正倉院」の解説

校倉造屋根寄棟造瓦葺規模正面約33.1メートル奥行約9.3メートル床下の高さ約2.5メートルである。 建立時期不明だが、光明皇后が夫聖武天皇遺愛の品を大仏奉献した756年天平勝宝8歳前後とみるのが通説である。759年天平宝字3年以降宝物出納記録残っていることから、この年までに建立されていたことがわかる。当初正倉院建物構成についてはわかっておらず、記録によれば平安末期には現存する宝庫1棟を残すのみであったらしい。 床下には10列×4列のを建て、その上に台輪(だいわ)と呼ぶ平材を置く。この上北倉と南倉は校木(あぜぎ)という断面三角形の材を20重ねて壁体をつくり、校倉造とする。ただし、中倉のみは校倉造ではなくの間に厚板落とし込んだ板倉」で、構造異なる。なぜ、中倉のみ構造異なるのか、当初からこのような形式であったかどうかについては、諸説ある。奈良時代文書には、正倉院宝庫のことを「双倉」(そうそう、ならびくら)と称しているものがある。このことから、元来正倉院北側南側校倉部分のみが倉庫で、中倉にあたる中間部は、壁もなく床板張らない吹き放しであったため「双倉」と呼ばれたとするのが通説だったが、年輪年代法用いた鑑定により、当初より現在のであった事が判明している。 校倉利点として、湿度の高い時には木材膨張して外部湿気が入るのを防ぎ逆に外気乾燥している時は木材収縮して材と材の間に隙間ができて風を通すので、倉庫内の環境一定保ち物の保存役立ったという説があった。しかし、実際には、重い屋根荷重がかかる校木伸縮する余地はなく、この説は現在は否定されている。実際壁面は中から見るとあちこちから外光透けて見える隙間だらけ」の状態であり、湿度の管理について言えば宝物良い状態で保管されたのは多重の箱に収められていたことで湿度の「急変」が避けられことによる部分大きい。現存する奈良時代倉庫としてはもっとも規模大きくまた、奈良時代の「正倉」の実態伝え唯一の遺構として、建築史的にもきわめて価値の高いものである校倉造宝庫長年宝物守ってきたが、1952年昭和27年)に鉄筋コンクリート造東宝庫、1962年昭和37年)には同じく鉄筋コンクリート造の西宝庫完成し、翌1963年昭和38年)、宝物類はそちらへ移された。現在、宝物大部分は西宝庫収納東宝庫には修理中の品や、西宝庫収納スペースのない、大量染織品が収納されている。現在、勅封はこの宝庫施されている。

※この「建造物としての正倉院」の解説は、「正倉院」の解説の一部です。
「建造物としての正倉院」を含む「正倉院」の記事については、「正倉院」の概要を参照ください。

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