原古典期〜古典期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/03 23:49 UTC 版)
「アルタル・デ・サクリフィシオス」の記事における「原古典期〜古典期」の解説
建造物B-Iも構築物Cが原古典期の前半、プランチャ相の最終末に建設された。原古典期から古典期初頭のサリナス相(紀元100年-450年)の時期に構築物B、さらにそれを覆って最終的なピラミッドである構築物Aが造られた。構築物Aの外装は赤い砂岩のブロックが積み重ねられた何段かの階段状の基壇になっている。ウィリーは、建造物B-Iの外装ピラミッドである構築物Aは、石碑10号に刻まれた455年に完成したと考える。建造物B-I-Aは、石碑11号から13号までを伴っており、少なくとも石碑12号の9.4.10.0.0.0.(524年)まで神殿として機能したと考えられる。ただし、小規模な儀式に用いられたと考えられる古典期後期のパシオン相やボカ相の遺物もみられる。建造物B-IIとB-IIIもサリナス相の時期にそれぞれ構築物Aが建設された。建造物B-IIは最終的に高さ6 mに達し、建造物B-IIIは高さ4.9 mに達した。建造物B-IVは、少なくとも二層の宮殿様の建物で、内部に広間をもっている。サンフェリクス相後半(先古典期中期)に建築活動が始まり、プランチャ相(先古典期後期)の時期に東側に階段と祭壇が建設された。サリナス相(原古典期)とアイン相(古典期前期)に最大規模の建物が以前の建物を覆って建設され、後古典期まで使用されていたと考えられる。グループBの建物はいずれも外装を赤い砂岩でおおっている。
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