先古典期後期(カントゥツェ相前半、300B.C. - A.D.1)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/03 23:45 UTC 版)
「セイバル」の記事における「先古典期後期(カントゥツェ相前半、300B.C. - A.D.1)」の解説
先古典期後期のカントゥツェ (Cantutse) 相の時期になると、グループAでの土器の出土量の増加とそれに伴う居住の拡大があったとハーバード大学の調査隊は報告書で述べている。グループAの構築物A-24の階段付近でこの時期に相当する時期の建物の床面が確認され、グループAの大きなピラミッドの下層にはこのような公共建造物を想起させる遺構があるのではと推察されている。 グループCでは、構築物C-79号にC-79下層神殿を確認している。C-79下層神殿は、南北9.5m、東西5.9m長方形のプランを持ち、基壇の高さは2.5mで西側に階段が設けられていた。またゲアー・トゥアーテロによって構築物C-24から埋葬22号と埋葬30号が確認されている。 グループDでは、土器量の増加、居住の活発化の状況がうかがわれる。構築物D-30号と「中庭A」にトレンチを入れたところ、祭祀に使われたと考えられる建造物の一部が確認された。ほかの場所にも直接は確認していないものの、公共建造物が大規模なピラミッドの下層に埋まっているのではとハーバード大学の調査隊は推測している。
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先古典期後期(紀元前350年 - A.D.250年)
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「マヤ文明」の記事における「先古典期後期(紀元前350年 - A.D.250年)」の解説
紀元前400年以降、先古典期後期に入ると都市の大規模化が起こり、現ベリーズのラマナイ(Lamanai)、グアテマラのペテン低地に、ティカル(Tikal)、ワシャクトゥン(Uaxactun)、エル・ミラドール(El Mirador)、ナクベ(Nakbe)、カラクムル(Calakmul)などの都市が大きく成長した。
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