先史-原史時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 03:55 UTC 版)
下地原洞穴遺跡で1.5-1.6万年前の乳幼児の人骨(下地原洞人)が見つかっており、旧石器時代にヒトが生活していたことは分かるが文化的な様相は明らかでない。 日本本土では縄文時代にあたる時期(貝塚時代早期-中期)は縄文時代後期(貝塚時代前期)から、通称「大原砂丘」一帯と、旧具志川村の北西海岸の台地上一帯に遺跡群が形成される。 本土の弥生時代から古墳時代(貝塚時代後期前半)は砂丘上に遺跡が形成される。特にこの時期は九州との交易が確認され、沖縄諸島全体では40ヶ所の遺跡から弥生土器が出土し、久米島では清水貝塚や北原貝塚から弥生土器が見つかった。また、漢代の五銖銭が見つかっていて、これは中国から直接もたらされたという意見もある。 古代(貝塚時代後期後半)も砂丘状に遺跡が形成されるが、様相は明らかでない。この時期にも唐代の開元通宝が見つかっており、貨幣として用いられたという意見がある。 グスク時代(12-15・16世紀)には久米島でも山間部などにグスクが築かれる。代表的なグスクは宇江城グスク、具志川グスクがあり、いずれ琉球王国による統一で廃城となった。これらのグスクからは中国や東南アジアの陶磁器が見つかっている。近年、久米島東部のハテの浜一帯から見つかる12世紀ごろの陶磁器が、当時の交易ルートなどを知る上で注目される。
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