先古典期後期終末(カントゥツェ相後半、A.D.1 - 270) - 古典期前期(フンコ相、A.D.270 - A.D.500)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/03 23:45 UTC 版)
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グループAの活動は、この時期にはすっかり衰え、南プラザの一部に居住が確認される程度となる。 グループCでは、C-79下層神殿が活動をつづけているが、ほかの区域はすっかり衰退している状況である。 グループDでは、広場Aの下層にカントゥツェ相後半に当たる時期の祭祀に使用されたと考えられる構築物が確認されている。ハーバード大の調査隊は、この時期がグループDが頂点に達した時期であって、セイバルがただの村落から重要なセンターになった時期であるとしている。 フンコ(Junco)相になるとグループAの「南プラザ」とくに構築物A-2に集中的に土器が確認される。グループCとグループDにも土器片は、確認されるものの、積極的な建築活動は全体的に停止している状況となり、ハーバード大の調査隊は、この状況を一村落にすぎない状況になったと表現している。 フンコ相の段階が過ぎるとまったくセイバルは放棄された状況となる。
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